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    ひとはそれを幸福と呼ぶ(1)3

     今日の不審者の正体は、かつて近所に住んでいた同い年の幼なじみ、瀬戸龍太だった。先週通報があったという人物が、龍太であるはずもない。実家は今も同じ町内だが、本人は家を出て職場の近くに一人暮らしをしている。
    「あーびっくりした。殺気出てたぞ、そのトレー」
    「びっくりしたのはこっちだよ、泥棒かと思った」

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    ひとはそれを幸福と呼ぶ(1)2


      
     手元を照らす温かい色をしたスポットだけのカウンターテーブルは、案外雰囲気がいい。並んでいるのは缶ビールとプラ容器に入った惣菜だが、ちゃんとすればそれなりにちゃんとなるんだろうな、とは思う。実際、夜の居酒屋営業にも客は入っていたし、常連客もそこそこいた。
     昼は十一時から二時まで、夕方は四時から八時までの惣菜と弁当販売。調理はもちろん、配達スタッフの手が足らないときは母もスクーターで走り回っていた。注文の電話も受けるし、店売りの会計もやる。今の自分だって同じことをやっている。そして惣菜店の閉店後、今から客を迎えて、料理と酒を提供できるかというと――一幸には無理だ。今はまだ。半年前までは一幸こそ夜の店が本業だったのだから、時間だとか営業形態だとか体力だとか――そういうことではない。気分的な問題。

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    ひとはそれを幸福と呼ぶ(1)1

    (1)ナツミ惣菜店の夜、あるいはたったひとつの恋の終わり

     美容院だの不動産屋だの、いくつかの商店の建ち並ぶ幹線道路沿いの商店街の外れ、少し奥まった住宅街との境目のような路地の一角。
     夜の闇の中、看板照明はすでに消えているが、店の入り口と窓を覆うカーテンの隙間からは店内の灯りが漏れている。
     駐輪スペースにスクーターを停め、念のため店舗部のドアの施錠をチェック。大丈夫。右手の通路から奥に入り、勝手口のドアをチェック。こちらも問題なし。さらに裏に回って、店舗二階の自宅へ通じるドアもチェック。それでようやくホッとため息を吐き、夏見一幸は再び表に戻って、店のドアを開錠し中に入った。『準備中』の札が、パタンと揺れる。