ひとはそれを幸福と呼ぶ(1)1
(1)ナツミ惣菜店の夜、あるいはたったひとつの恋の終わり
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美容院だの不動産屋だの、いくつかの商店の建ち並ぶ幹線道路沿いの商店街の外れ、少し奥まった住宅街との境目のような路地の一角。
夜の闇の中、看板照明はすでに消えているが、店の入り口と窓を覆うカーテンの隙間からは店内の灯りが漏れている。
駐輪スペースにスクーターを停め、念のため店舗部のドアの施錠をチェック。大丈夫。右手の通路から奥に入り、勝手口のドアをチェック。こちらも問題なし。さらに裏に回って、店舗二階の自宅へ通じるドアもチェック。それでようやくホッとため息を吐き、夏見一幸は再び表に戻って、店のドアを開錠し中に入った。『準備中』の札が、パタンと揺れる。
店舗部の灯りはカウンターの上のスポットだけ、ショーケースと厨房は消灯されている。
店には誰もいない。
配達の帰りにガソリンスタンドへ寄ったので遅くなったが、一幸がいなくても一幸以上に慣れたスタッフたち――長く勤めてくれているベテランのおっちゃんおばちゃん、もとい、人生の先輩たち――は、いつも通り閉店後の締め作業を終えて定時に帰ってくれている。
最後の注文分のレシートを切った後でレジを締め、キャッシャーの現金は出る前に金庫へ片づけてある。開けっ放しでさえなければ、十五分程度無人になったとしても特に問題はない。
スタッフ間の信用問題というなら、たぶん一幸の方があてにならない。
手作り惣菜と弁当の店『ナツミ惣菜店』の閉店時間は午後八時。
夜の売り上げは弁当の配達がほとんどで、日によっては七時を過ぎたらピタリと電話が止むこともあるし、営業終了の留守電をセットする直前に滑り込みで注文が入ることもある――今日みたいに。
そういうのはだいたい、『わかってやっている』常連だ。遅くなっても構わないから、と言われても、構うのはこっち――だが、断りはしない。今日は普通に個人宅への弁当配達だったけれど、場合によってはこの滑り込みで、近所のスナックがケータリングの体で残った惣菜をまとめて買い上げてくれることもある。
以前はこの店でも、閉店後から夜の十二時まで店の惣菜と酒を出す居酒屋のようなことをやっていたが、今は休止している。だから、食材のロスが少しでも減るのなら、多少の時間オーバーくらいどうということはない。
とはいえ、パートさんたち、特に厨房スタッフは定時になったら帰ってもらうと決めている。八時に閉店、締め作業の後、定時は八時半。残業してもらえる時間枠の余裕は――要するにみんな上限時間があるのだ――、年末だとか年度末だとか行楽シーズンだとか、本当に人手が必要な繁忙期のためにとっておかなければならない。だから、時間外になる『ギリギリ注文』に対応するのは必然、『株式会社ナツミ惣菜店』のオーナー社長で店長、代表取締役、CEO――まあ、なんでもいいけど。肩書ほどにかっこ良くはないし、そんな大げさな立場になった自覚もない――である、夏見一幸自身となる。
今はすっかり配達スタッフの待機場所になっている店舗部のカウンター裏にスクーターのカギを片付けながら、視界に入ったカレンダーに目を遣る。
明日は土曜日。昼に弁当三十個の配達があるが、人手は特に増やしていない。仕込みさえ済んでいれば、それくらいの数は一幸ともう一人のキッチン二人体制、通常営業をしながらでも用意できる――ようになった。ようやく。
『家業』であるナツミ惣菜店を手伝うようになった一年前は、一幸がそれまで関わってきたタイプの店とは勝手が違いすぎて、弁当十個の注文ですら焦った。メニューは? 材料は? 仕込みの準備は?
それでもその頃はまだ、母がいた。
この店の創業者で、全ての料理の監修者で、良い雇用主で、最高の営業で、いくつになっても自称看板娘で、見た目はどこか古風なタイプの――言うなれば線の細い、守ってあげたくなると言われるような――息子の目から見ても美形の類で、そのくせ守ってあげたいと言われたら要らないわよと笑って即答する、一幸の母。お母さんに似ていると言われるのが子どもの頃は恥ずかしく、長じてからその意味に気付いて妙に納得した、たった一人の血縁者。
一年前、母は少し体調を崩していて、それで一幸が手伝いに来ていた。一時的なダブルワーク。ただ母だって何もできなかったわけではないから、一幸が焦る必要はなかった――その頃は、まだ。
今年の四月、母が死んだ。数日間、ただの検査入院だったはずなのに、それきりだった。こんなの誰も予想していなかった――おそらく、母以外は。
早朝に連絡を受けた一幸は病院と店を行ったり来たり、公私ともに世話になっていた弁護士の坂木先生に電話して、葬儀場との打ち合わせ、方々への報告の手配、悲しんでいる暇など与えないと言わんばかりの手続きの色々をこなしたが、それでも店は明日の予約が入っていて、食材も揃えてある。
注文も食材も、何一つ無駄にはできない――生前に母が準備していたノートを頼りに、その日入っていた厨房スタッフの村田さんと、緊急招集に応じてくれた長谷川さん、三人で動揺しながらもなんとかこなして、店を休んだのは実に葬儀の一日だけ。
母が半ば趣味のようにやっていた夜の居酒屋営業はしばらく休止ということになったが、惣菜と弁当販売の方はあれからどうにかこうにか営業を続けて、ようやく日々の業務にも慣れてきて――日付を見てふと思い出し、指折り数える。五、六、七、八、九、十。
「六か月――半年か」
今日は母が死んだ日からちょうど六か月、いわゆる月命日だった。
といって、取り立てて法事をするわけでもない。初七日も、四十九日も、忌明け法要もしなかった。やったのは葬儀と納骨式だけ――近くの寺がやっている永代供養の納骨堂を母は早々に予約していたらしく、納骨式というのはそのセットプランだからこれは折り込み済み。葬儀についてはおそらく母の『何もしなくていい』という本意にはかなわないのだろうが、昔の客に今の客、仕入れ先の商店や農家さん、設備会社の営業、商店会や近所の人――店の関係もそれ以外も、母は顔が広かったから会葬をやらないわけにはいかなかった。後々面倒だと聞いて、香典なんかは全部断った。一幸の知らない人も大勢来てくれた。得体の知れない弔問客もいたが、みんな母の死を悼んでいるのには違いなく、葬儀は恙無く終わった。
一幸自身の気分の問題で、自宅のテーブルの上に母の写真と饅頭だの菓子だのを置いたりはしているが、母のための仏壇も、墓もない。もしかしたらこの世のどこかに、母の縁者や、初めからいない父の縁者がいて、入るべき墓はあったのかもしれない。けれど一幸はそれを何一つ知らない――母が言わなかった以上、知らなくていいと思った。手続きに必要だった母についての書類には、ほとんど目を通さなかった。
お葬式も法事もしなくていい、仏壇もお墓もいらない、だけど『時々でいいから思い出してね』。坂木先生に託されていた母の遺言だ。便箋にしたためられた手紙にはたぶん法的な効力はないから、遺書というべきかもしれない、よく知らないけれど――一幸はそのことを考えていた。
スタッフ用の狭いロッカー室の奥に、住居部の階段に通じるドアがある。今日最後の配達分の代金を二階の金庫に戻し、冷蔵庫から缶ビールを一本取り出して、再び階下の店に戻る。厨房の冷蔵庫から今日の営業分で少し残った惣菜を取り出し――大方はスタッフたちが三割引きで買い取ってくれる――、店の隅に片づけられたスツールを引きずってきて、客席の体でカウンターの前に置く。
頭に巻いたままだった調理用帽子替わりのタオルを取って、カウンターの上に投げる。長めの前髪が下りてきて、やっとスイッチがオフに切り替わった。
誰もいなくてもいただきますと手を合わせ、ビールを呷る。ああ、と思わず声が漏れる。
この店は、母の夢だったはずだ。だから、今夜はここで飲むことにした。
※こちらは2022年中に発行する予定の同人誌『ひとはそれを幸福と呼ぶ(仮)』の第1話サンプルです。