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瀧殿縁起 第一章「孤高の王」3

 
 3

 夕立はすぐに止んだ。だが、星野君の言葉に気を取られたあのわずかの時間で、三月は頭の先からつま先までびしょぬれになった。
 幸いバッグの中はそこまで酷い状況ではない。ハンカチを取り出しとにかく頭と顔をぬぐいながら、踏切を渡って駅の裏手に出て、古い住宅街を通り抜ける。春になるとちょっとした花見スポットになるという桜堤の川沿いを北へ歩いて、自動販売機の角を曲がった少し先に、目的地が見えてくる。
 ブロック塀に囲まれたそこそこ大きな門構え、ごく一般的な日本家屋、にしては、実は部屋数が多い。薄くなって消えかかった看板『しのはら荘』が、往時の姿を偲ばせる――と言っても、そもそも三月は、その全盛期を知らない。
 『帰ってきたら、大きな声で挨拶をすること』、ここで暮らすルールの一つ。これがいまだに慣れなくて――変に照れてしまうのだ――、三月はとりあえずポケットにハンカチを仕舞い、すっと息を吸って玄関の引戸に手をかけた。そのとき、玄関の横手の前庭から、あらららら、と高い声が響いた。
「三月君、傘持ってへんかったの!? 雨宿り間に合わんかった?」
 強い夕立が通り過ぎたので、庭の植木の様子を見回っていたのだろう。いつものエプロン姿の上から薄手のパーカーを羽織り、長靴にジーンズの裾を押し込んだ『お母さん』が、すっかり濡れねずみの三月を見て目を丸くしている。
「あ、えっと、傘、持ってたんだけど出すの間に合わなくて」
 三月の返事を聞いているのかいないのか、お母さんは玄関の戸を勢いよく開けて、家の中に呼ばわった。
「お父さあん、バスタオル持ってきてえ。新しいの」
 中から間延びした返事が聞こえる。今日は『先生』もいるらしい。
「お風呂直ぐするけど取り敢えず着替えといで! あらら靴もびしょびしょ。お父さん、足ふきもお願い、って私行った方早いわ」
 くるくると忙しく立ち回り、さっと長靴を脱いで式台に上がったところで、お母さんはぴたりと歩を止めた。振り返ってにっこりと微笑んで、三月に言う。
「挨拶、まだやったね」 
 すっかりタイミングを逸していた、ここの『ルール』。三月は慌てて居住まいを正し――そんなかしこまらんでもええのよ、と前から言われてはいるのだが、慣れていないので覚悟がいるのだ――、すっと息を吸い意を決してから、言った。
「ただいま!」
「はい、お帰り!」
 そう答えたのはお母さんと、廊下の奥からタオルを持って出てきた初老の男性――『先生』だ。
 長身で痩せ型、知的な雰囲気の細面。鼈甲フレームの眼鏡の向こうで柔和な笑みを浮かべ、先生はタオルを広げてくれた。三月はそれを受け取って頭から被り、靴下を脱いでいる間にお母さんが足ふきを持って戻ってくる。そんなに降ってたんか、と玄関の戸から外を伺う先生に、窓閉めてって言うたでしょ、聞いてなかったん、と呆れた声をかけるお母さん。二人は賑やかに三月の世話を焼いてくれる。
 学校から家に帰っても、家族は誰もいないのが当たり前だったから、こんな風に誰かに世話を焼かれることや、まして大きな声で挨拶をする、という習慣に、三月は慣れていない。
 決して、馴染めない――馴染みたくないわけではない。ただ、まだ慣れない――恥ずかしい、照れくさい。だが嫌いじゃないし、特に今日みたいな日は、素直にありがたいと思った。
 
 先生とお母さんが切り盛りする下宿屋『しのはら荘』――『だった』家。それが今の三月の住まいである。
 
 *

 遡って五月の下旬。
 引っ越しと呼ぶのも気が引けるほど簡単に荷物をまとめて実家を出て――追い出されて、というのが三月の体感だ――新幹線駅まで送られる車の後部座席で母親から聞いた三月の行先についての説明は、『昔お世話になった先生のお宅』、その一言だけ。母の言葉が三月からの返答を求めているわけではないことは、よく知っている。
 そんな説明でもないよりマシだ。誰がいつどういう形で世話になったのかは知らないが、春田の家と関わりがあって、『先生』と呼ばれる身分の人の家。母の言葉に、そう、と答えて、あとはお互い、一言も口を聞かなかった。
 知らない人の家で暮らすという状況に、確かに不安はあったのだが、さすがに命の危険というようなことはないだろうと思ったし、一応これは三月なりの計画でもあったわけだから、大きく見れば成功と言っていい。
 新幹線に乗ってから、携帯端末で目的の駅を検索して、三月はほんの少し怖気付いた。県をいくつもまたいだ先の、想像した以上の『僻地』。駅前にコンビニなんかないし、どう検索してもカフェどころか飲食店も、スーパーもない。学校は――そこよりは少し『街』のようだが、それでも実家のあたりの商業施設の規模とは比べ物にならない。
 いや、でも、と三月は頭を振った。ここではないどこかなら、どこでもいい。今この状況から逃れられるなら、なんだっていい。そういう計画だったんだから、そんなの十分、覚悟の上だ――。
 新幹線からローカル線を乗り継ぎ、車窓からビルや店舗がどんどん消えていく。やがて民家さえもまばらになり、さすがの三月も気持ちがだんだん弱ってきて、くじけそうになった頃、羽戸駅まで迎えに来てくれていた老夫妻に名前を呼ばれ、不覚にも三月は泣きそうになった。二人そろって人の好い笑顔で、待ってたよ、と迎えてくれた――それで心底、安心したのだ。
  
 三月がこの街で暮らすことになる家は、マンションやアパートではなく、学校の寮でもない、『下宿屋』と呼ばれる施設『だった』――過去形である。下宿としての営業は何年か前に終えていたらしく、だから正確に言うと三月は下宿生や店子ではなく『居候』だ。だったらなおのこと、どういう経緯で自分がこの家に来ることになったのか、もう利用者を受け入れていないのに迷惑ではないのか、そもそも『先生』というのは何なのか、世話になったのは誰なのか。老夫妻――篠原博、久美子夫妻、共に六十代から七十代といったところ――は、家に着くとまず三月を居間に通して日本茶と菓子を振舞い、それから三月の疑問を察したようにこう言った。
「そうやな、ややこしいことだけ先言うとこか、三月君が気にしたらあかんしな」
 篠原氏は座卓の前に居住まいを正し、ずり下がるメガネを両手で直して、そして続けた。
 三月の生活費については、春田の家とちゃんと約束ができているので心配しなくていいこと、普段の小遣いは今まで通り――で、わかるんかな、と篠原氏が問うので、三月は頷いた。まるで給料のように定期的に銀行口座に振り込まれるのだが、なんとなくそれは言わないでおいた――、学校へは三月の保護者兼後見のような立場で了解を得ていること、風呂付き食事付き、洗濯・掃除は嫌でなければお任せ、だからせいぜい『親戚の家で暮らしてる』くらいに思ってくれたらいい、ということ。
 それだけまとめて説明してから、篠原氏は湯呑みに口をつけた。
「とにかく、三月君は、何も心配せんでええからね」
 篠原夫人が微笑む。金銭面や日々の生活のことは確かに重要なのだが、正直ここへくるまでほとんど気にかけていなかった。三月は密かに反省し、はい、と頷いて、不安はないことを示すつもりで日本茶に手をつけた。振舞われた菓子は地元産の抹茶を使ったという餅菓子で、どこか懐かしいような味がした。
 膝を崩して篠原氏が言う。
「ウチはもともと大学生相手の下宿屋でね、『しのはら荘』ゆうて。今はもう学生さんもおらんなって下宿屋は畳んだんやけど、三月君のお母さんから連絡もろて、こんなジジババでも役に立てるんやったらお預かりしますよ、言うて」
「え、母、ですか?」
 意外な言葉に驚き、三月は目を丸くした。
「そう。まあ、昔ね。ご縁があって」
 そう言って、二人してどこか懐かしいような表情を浮かべる。
 先生なんて呼ばれるような身分の人なら、てっきり祖父の関係だと思っていた。そんな、まさか、『あの母』がこんな人のよさそうな老夫妻と縁があったなんて想像もできない――だが、母は確かに、
「昔お世話になった先生、って……」
 思い出して三月が言うと、篠原氏がははっと笑った。
「お世話ちゅうほどのことは何もしてないけど、まあ僕はあの頃大学で教えてたから、先生には違いないな」
「え、じゃあ母はもしかして、教え子とか、そういうのですか?」
「いやいや、そうではないんやけど――しかし、『先生』て、懐かしなあ」
 篠原氏が目を細めた。夫人もその隣で微笑む。
「学生さんも、主人の学校の子が多かったから、みんな先生て呼んでくれて、ねえ。私のことも『お母さん』て言うてくれて」
 今いる居間は夫妻の居住空間だろう。テレビの横にいくつか写真立てが並んでいて、それはいずれも男子学生たちに囲まれた夫妻が写っていた――しのはら荘で暮らしていた下宿生たちとの記念写真のようだ。
 開け放たれたふすまの向こうに見える食事室は、夫妻二人には広すぎる。大きな食器棚に、茶碗と味噌汁椀のセットがいくつか見えていた。下宿生用の居室は二階に六部屋あるらしく、つまり最大六人の下宿生が、ここで夫妻とともに生活していたのだろう。そういう暮らしを三月は全く知らないが、想像することはできる。
 今の二人にとって、それはたぶん特別な日々だったのだ。飾られた写真、二人の表情からもそれは十分察せられる。夫妻が在りし日を懐かしみ、昔取った杵柄とばかりに三月を受け入れてくれた、その経緯は想像に難くないし、素直にありがたかった。それなら、三月一人ではおそらくかつての賑やかさには到底及ばないが、少しでも彼らのよすがを支えたい――しのはら荘で初めての夜を過ごした朝、三月はなんとなくそんな気持ちになった。
「あの、僕も『先生』と『お母さん』て、呼んでいいですか」
 朝食を前にして、三月は二人に申し出た。
 先生はともかく、『お母さん』の方は、少しハードルを感じる――だが三月がそう言うと、今度は夫妻が揃って目を丸くして、それからちょっと照れたようにはにかんで、
「僕もう先生とちゃうけどな。この人も、もうお母さんて歳と違うやろ、おばあさんやで」
「失礼やと言いたいけど、ほんまやわ」
 二人して、ふふふ、と笑った。
 だからそれから三月は、二人を先生、お母さん、と呼んでいる。
 昔から三月は人見知りをしない――というか、できない――タイプだったが、この老夫婦は、自分たちから相手の殻を破らせ、相手の矛を収めさせるような、穏やかな暖かさをまとっている、そんな気がした。それは三月が、これまで触れたことのなかった温もりだった。
 元下宿屋『しのはら荘』大家の、篠原博・久美子夫妻。夫の博――『先生』は、もう先生ではないとは言ったが、大学教授を引退し、今は在野の郷土史家という身分なのだそうだ。著作も何冊か見せてもらった。それならやっぱり『先生』には違いない。妻の久美子――『お母さん』は、これまでは下宿の管理全般を担っていたそうだが、下宿屋を畳んでからは、この町唯一の大企業と言われている製茶工場で週に四回、賄いのパートをしている。夫妻が『お父さん』『お母さん』と呼び合っているところを見ると、どうやら子供世代の家族もいるらしいが、後を継がなかったのだなと三月は思った。

 しのはら荘での暮らしは、馴染みのない体験の連続だった。
 与えられた居室は南向きの六畳一間。畳に布団、襖と押入れの部屋というのがまず初めてだ。テレビ線はないけどネットはいけるよと先生が言う――大学生向けの下宿には、もうかなり以前から必須の環境だったようだ。無線環境まで整っていたのは恐れ入ったが、ありがたかった。三月の唯一の趣味であるソシャゲ環境も維持できる。ゲームするのに繋いでいいですかと念のため申し出たら、そんなん好きにしィ、と笑われた。
 食事はお母さんが用意してくれて、食事室で夫妻と一緒に食べる。普段の食事を誰かと食べるのも久しぶりだったし、そもそも作り置きじゃない『出来立て』だ。朝食が和食なのも三月のこれまでの人生にはなかった習慣だったが、これは案外直ぐ慣れた。朝食を抜くこともなくなってしまった。
 一周回ってカッコよくすら見える洗面室と風呂場とトイレは、下宿屋の頃のままだからか、やたら広くてタイル張り。広い玄関には、最大六人の下宿生が使っていた、大きなシュークローゼット――というよりはたぶん、『下駄箱』と呼ぶのが相応しい。南側の前庭に面した長い縁側、舗装していない地面の駐車スペースにはクリーム色の軽自動車、農具なんかをしまっているらしい木製の『納屋』――いわゆる田舎の民家の設えは、新鮮といえば新鮮、そして知らないのに懐かしい。そのうちそういうもんと思って気にならんから、とお母さんは笑う。
 田舎といえばよく聞く『鍵をかけない』ような習慣はさすがにないらしいが――一時期、盗難騒ぎが多発したのだそうだ――近所の人がふらりとやってきては、縁側で先生やお母さんとひとしきり長話をして、採れすぎた野菜を大量に置いていく。転入手続きが終わらない三日ほどの間、三月はしのはら荘で待機を余儀なくされたので、その間何人かのお客さんとは挨拶をした。いずれも篠原夫妻と同年代のお年寄りで、みんな口を揃えたように、あらまあそうかぁ、えらいシュッとしたお兄ちゃんやなぁ、と言って笑った。何人かは菓子をくれた。見た目を形容する言葉なのは、何となくわかった。
 基本的に人の少ない静かな町。だが訪ねてくる客はみんな、しゃべり、笑い、ほなまた、と楽しそうに帰っていく。夫妻の人柄の所以かもしれない。夜の闇は濃く、虫の声、獣の声、鳥の声、蛙の声、遠くを走り抜ける車やバイクの音――たぶん昼間より騒がしい。入居して二、三日はなかなか寝付けなかったが、それが嫌だとは思わなかったし、お母さんの言う通り、ほんとうにそのうち慣れてしまった。
 
 三月はずっと、ここではないどこかに行きたかった。
 知らないどこかに帰りたいような気がしていた。
 この状況から逃げ出したかった。
 先生たちは、どこまで知ってるんだろうか――春田の家の事情や、三月の置かれている状況について。だが、二人は三月に一切を尋ねず、まるで昔からよく知っている存在のように、ただ優しく、温かく迎えてくれたのだった。
 例えば、祖父とか、祖母とか――三月の知らない、ただ想像するばかりの、血の温もり。

 *

 部屋着に着替えて階下に降りると麦茶が用意されていて、人心地つけた頃に風呂が沸く。風呂場に追いやられて湯に浸かり、出てきた頃には、お母さんは夕食の準備、先生は居間のテレビでニュースを見ていた。なんだか『普通の家族』みたいだ――三月がしのはら荘で暮らす上で感じている恥ずかしさ、照れ臭さ、ほんのわずかな不安が、凝縮されたようなひととき。
 三月の場所としてあてがわれた食卓の椅子に座り、横目で居間のテレビに目をやりながら、さっきの麦茶の残りを飲む。しみじみ美味しい。窓の向こうに広がる西の空は赤とも青とも紫ともつかない夕焼けの色をして、夏至前の空を彩っていた。
 テレビを消して、小上がり風になっている居間から先生が食事室に降りてきた。三月の斜め向かいの椅子に座り、そこらに置きっぱなしだった新聞を手に取り、眼鏡を額の上に押し上げながら先生が言う。
「今日は、なんぞ楽しいことはあったかい」
 先生は時々こうやって、三月の学校生活のことを尋ねてくる。預かり子である三月がきちんと学校に行っているか、ちゃんと勉強しているかを気にしているのか――と考えるのはずいぶんひねくれていたな、と、今の三月は反省している。先生やお母さんの三月に向けた態度は、そういう利己的な心配ではない。もっと真っすぐな、それはたぶん『愛情』と呼ばれる類のものだ。先生が最初に言った『親戚の家で暮らしている』という言葉も、おそらくそういう意味だったのだろう。ただし、三月自身は親戚間の愛情など全く知らないのだけれど。
 下宿屋をやっていた頃も、学生たちに対してこんな風に接していたのかな、と三月は想像した。地方から出てきた学生たちを受け入れ、励まし、応援し、支えてきた二人。そういうことができる人たち。
 楽しいこと――では、ない。だが、三月は風呂に入っている間も今も、さっきの星野君の言葉を思い返していた。だから、思い切って訊いてみた。
「あの、……僕って気持ち悪い、ですか」
「ええっ?」
 素っ頓狂な声を上げたのは、先生ではなく、台所にいるお母さんだった。部屋は別れているが戸は開け放たれており、食事室の話が聞こえていたらしい。先生はただ、新聞から顔を上げて、三月の顔をまじまじと見ていた。
「なんや急に――誰かに何か言われたんか?」
 先生が少し心配そうな色をした声で聞き返してきた。心配させるのは本意ではないから、
「や、その、まあそんなような感じのことを、ちらっと、なんですけど、」
「そんなこと、ない! 絶対ないよ。誰やそんなん言うの」
 三月の言葉に被せるように、お母さんが言い放った。三月は一瞬息を飲み、それから――笑って見せた。そう言わせたくて尋ねたのに、当たり前のように、しかもこんなに力強く否定されると、驚き半分、喜び半分。三月は照れ隠しで言葉を継いで、
「ですよね。どっちかっていうと、感じいい方だと自分でも思うんです」
 しれっと言ってのけたら、今度はお母さんと先生が目を丸くした。
 家庭環境の割には、三月の自己肯定感は高い――いや、周囲のおかげで高くなった。
 家族や親族との関係は最悪だし、その中で自分という存在を認められたことはたぶん一度もない。だが逆に他人との関係は恵まれてきたように思う。言葉には言葉で、笑顔には笑顔を返してくれたこれまでのクラスメイトや教師、習い事の先生、三月に期待してくれた人たち。そして、彼らの期待を裏切らなかった三月自身の態度――出しゃばらず控えめに謙虚に、自分に与えられた役割を果たしてきた、その甲斐あって春田三月という存在の他人からの評価は高く、好かれ、褒められ、存在を認められ――結果として、今の自分がある。
 先生が笑いながら言った。
「自分で言い切れるのはええことや」
 どうやら、心配しなくてもよさそうだとわかってもらえたらしい――そうなのだ。確かに星野君から『気持ち悪い』と言われたこと自体にショックは受けたが、それは単にその手の言葉を久しく聞かなかったからで、言葉の意味に打ちひしがれたわけではない。
 三月が気になったのはむしろ、三月に向かってそう言い放った星野君の意図についてだ。
「その、なんでそんなこと、言ったのかなと思って。相手が」
 これまでも、今日の放課後も、星野君とはろくに会話が成立しなかった。その距離感で『気持ち悪い』と思われるようなことなんて、あるだろうか? 普通は――といって、何が普通かなんて三月にはわからないが――ないと思う。だが、星野君は三月に向かって確かにそう言った。一体、なぜか。
 先生が言った。
「気になるんやったら、本人に聞くことやなあ」
「聞いたら、教えてくれるかな」
「教えてくれるまで聞いたらええがな。それどういう意味やて。もしかしたら、こっちが思いもせん意味で言うてるかもしれん」
 他人に対して投げられた『気持ち悪い』という言葉が、何か別の意味を持つ可能性。それこそ、そんなことがあるだろうか――お母さんが包丁を使いながら、その背中で少し笑った。
「昔、話し方が違うことを『声が違う』って言ってた子、おったねえ」
「ああ、うん。ふふ」
 先生も頷きながら笑い、続けた。
「子供の話やけどな。その子は『声』ちゅう言葉に、言葉遣いとか、方言とか、イントネーションとか、まあそういう意味全部を持たせてそう言うてたんや。その子の場合は単純に、まだ言葉を知らんかっただけやけど――まあしかし、言葉の意味というのは、言う人、言う相手、受け取る側の気持ち、時と場合によっても変わるもんやから。言うた本人にしか、本当のところはわからん」
 先生の言葉に、三月ははい、と頷いた。
 その言葉の額面通り、星野君は三月のことを気持ち悪いと思っていたのなら、なぜそう思うのかを知りたい。どうすればそう思われずに済むのか知りたい。先生の言うように、その言葉に別の意味が宿っているのなら、どういう意味で言ったのかが知りたい――三月は、星野君のことを知りたいのだ。
 星野君について知りたいことが、また増えてしまった。あの日の表情の意味、あの日の視線の意味、そして今日の言葉の意味。だが、新たに知ったこともある。星野君のゼロ限と七限の謎、星野君が暮らす集落のこと――ふと思い出して、三月は先生に尋ねた。
「あの……、『雉師』って、どんなところですか」
 滝本さんが言っていた、曲がりくねった林道を登った先の集落。星野君がバスで帰る先。
「ん、なんや。雉師で何かあったんか?」
 新聞に目を落としていた先生が、顔を上げ、両手で眼鏡を戻して言った。
「や、あの、クラスの人が――昔住んでたって話をしてて。スクールバスで小学校まで来るのが大変だったって」
 星野君ではなく滝本さん自身の話という体で、三月は言った。そうとは言わずともさっきまで星野君の話をしていたのだ、わざわざ話題をつなげる必要もないと思った――隠したとか、そういうことではなくて。
「はあ、そうやなあ。昔は人ももっとおったから、小学校も中学校も分校があったんやけど、どっちも閉校してしもたから。それで引っ越す人もおったみたいやから、悪循環やったんやろなあ。そらちょっと山奥やけど、ええところやで。あっこに通ってる道は、この辺では一番古い、山越の街道なんや。車なんかなかった頃は、歩いて山越える人がぎょうさん通ったんやで。瀧殿神社ていう神社があってな、きれいな池と瀧があって――」
 先生がまるで夢を見るような仕草で呟いて、ふっと言葉を止めた。何事かと視線をその顔を伺うと、先生は不意にニヤリと笑って、
「その池の底にはな、龍が住んでるんや」
 と言った。

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※こちらは2023年8月12日発行の同人誌『瀧殿縁起』のサンプルです。