君はポップスター(4)
(4)
名前を呼んで、なあ、と振り返る。
公園の前を車が行き交い、スマホで何事かを話しながら歩道を通り過ぎる人がいて、公園は街灯だけが明るく、その足元の賢太郎と優心を照らしている。
優心は、
「……、」
帽子の下で目を丸くして、ただ白い息だけを零しながらしばらく固まったように賢太郎を見つめて――それから、ぐい、とキャップのツバを掴んで俯いた。ぽつりと呟く、
「……何で賢太郎て、いつもそうなんやろなあ……、」
「えっ」
その言葉に思わず声が出る。その反応は、なに?
「え、オレ何か変なこと言うた? あの、そやし、なんていうの、もう自分にはこれしかないねん、みたいに思い詰めんでもええし、なんかあったら帰ってきたらいいんやし、背水の陣みたいな状況ではないんやし、て、そういうことが」
「いや、ちゃうねん、わかってる、賢太郎の言いたいことは。……そうじゃなくて、」
優心は、はあ、と溜息をつき、それから小さく笑って、顔を起こした。
上着のポケットに両手を突っ込んで、ベンチに座ったまま突っ張るように足を放り出して、あのな、と言った。
「……これ、ホンマに絶対誰にも言うたらあかんで。まだ企画段階の話で、どこにも出てないから」
「えっ……、と、いやオレはそんなん絶対言わんけど、……ええの? 守秘義務みたいなやつ」
こんな前置きをされるのは初めてのことで、どう考えても優心の仕事の話だ。『今はまだ秘密』の――今優心が直面している何事かを、賢太郎に話してくれるつもりなのだろうけれど、緊張する。
「どう説明したらええかわからんもん。賢太郎のこと信じてるからな」
「や、それは、大丈夫や、信じてくれ」
「ん」
優心が頷いて、すいと顔を寄せてきた。つられて顔を寄せ合って、内緒話の姿勢になる。優心が声を潜めて話すのによると――来年秋以降の予定で、ユニットではなく優心個人に、舞台出演のオファーが来ているのだという。
「……え、すごいやん!」
賢太郎はそちら方面には詳しくない――ユーシンとトイラブ以外の芸能界にはあまり興味が無いのだ――が、舞台は舞台で役者がアイドルみたいな状態のようだし、舞台俳優のアイドルユニットというようなものもあるらしい。逆にアイドルである優心に舞台出演の声がかかっても、不思議ではない。他のジャンルから声がかかると言うことは、それだけ認められているということじゃないのか。
「すごい……、んやんなあ、そうやんな……、」
けれども優心の返事は歯切れが悪い。
「何、」
「……賢太郎、覚えてへん?」
「何が?」
「……、浦島太郎のさ、亀……」
だんだん尻すぼみになる優心の言葉を頭の中で反芻し、
「……あああ、」
ようやく思い出した。
「亀その三!」
思わず声を上げてしまう。優心は無言で賢太郎の膝を叩いた。痛い。ぎゅっと眉根を寄せて、きっと顔は赤い。そんな場合ではないが、かわいい。
「トラウマやねんアレホンマに……、」
小学校三年か四年か――自分たちがまだ何も考えてないただのアホだった頃の、学習発表会でやった創作劇だ。浦島太郎も乙姫も亀も三人ずついたその舞台で、優心は亀その三だった。
そのころすでに歌を習っていて舞台慣れしていたはずの優心は、しかし残念なことに『演技が苦手な性質』だった――賢太郎ですら見ていて気の毒になるくらいに。
こうしなければならない、と意識すればするほどできなくなるらしく、右手と右足が同時に出るぎこちなさに加え、多くないセリフも棒読みの方がマシなくらい不思議なイントネーションになっていて、とにかく大変だったのだ。賢太郎も決して上手だったわけではないが、とりあえずセリフがちゃんと言えればそれでいい、というゴールを決めて、毎日一緒に練習した。本番は出番ギリギリまで袖で青い顔をしていて――もしかして舞台の上で泣いてしまうんじゃないかと心配したほどだ。舞台はなんとか上手くいったし優心は泣きはしなかったが、劇なんてもう絶対やらへん、と零していた。
確かにそれから先、賢太郎の知る限り優心が芝居をしたことは一度もないが、まさかトラウマと言うほどになっていたとは。
「そうかあ……、」
絶対やらへん、と決めた、舞台のオファー。
「……それは、イヤやったら断ってもええっていう話なん?」
賢太郎が問うと、優心はううん、と首を振った。
「……ぶっちゃけ、やらへんていう選択肢は、無い」
「そうなんや」
「だから、……イヤでもなんでも、やるのはやる、ん、やけどさ」
優心はふい、と視線を落とした。賢太郎は、言葉の続きを待つ。
「……、んん、どう説明したらええんやろうな。その、……色々あって」
「色々、」
「うん、色々。とにかく、な、……オレに来てる役、がさ、二種類、になってしもて。どっちか選んでええでって」
「二役、じゃなくて、どっちか?」
「どっちか。ひとつは、元々来てた役で、……なんていうんかな、三番手か四番手って感じの、」
「主人公の友達みたいな?」
「ああー、そうそう、そんな感じ。まあどういう役かはオレも知らんねんけど。あんまり、メインではない、かな。ほんでもう一つが、……二番手、ていうか。その、……準主役、らしいねん」
「マジで!?」
「マジで……、」
映画のスタッフロールなら主役に次ぐ二番目か、あるいは一番最後に出てくるポジションだろう。主人公の一番の相棒、ライバル、最後の敵――アイドルとしての歌やダンス、ではない分野に初めて進出する、その一作目なのに大抜擢が過ぎる。なんとなく察するに、色々、というのはいわゆる『大人の事情』で、本来依頼していた役者の側か制作会社の都合でキャスティングが変更になったのかな、と、まあうっすら想像はつく。
すごいやん、とは思う。どう考えたって、準主役の方を選ぶべきだ。だが――優心は、芝居をしたくない、のだ。
優心は言った。
「オレもさ、すごい話、なんやと思う。メンバーの他の人らでもそこまでの大役はまだやもん」
「そう……なんや、」
優心が、空を仰ぎ見るように顔を上げた。息苦しかったのかマスクを指でずらし――白い息がふわりと立ち上った。
「あのさあ、賢太郎、聞いて」
直接聞くのは久しぶりの、優心の言葉。賢太郎は、優心の横顔を見つめて、うん、と答えた。
「オレな、自分だけ一周遅れてるみたいな気しててん。他のみんなは、ソロでドラマとか映画とかの仕事来てて、でもオレだけ何も無くて。焦る、とかはないけど、オレはなんか足らんのかな、とか思ったりして」
けど雑誌の連載持ってんの優心だけやんか、と賢太郎は思ったが、それは言えずに、んん、と唸るような相槌を打つ。
「そやし、今度声かけてもらえたんはめちゃくちゃ嬉しいねんで。そやけどさ、……なんで舞台なんかな、て。ドラマとか映画やったらさ、上手くできるまで何テイクもやって、いいとこだけ使うとかできるけど、舞台てそうじゃないやん。一回きりやん。そもそも苦手やし、トラウマやし、ホンマ自信ない。こんなん、他のメンバーに相談できへん、そやからって、メッセとか通話で賢太郎に言う訳にもいかへんし、て……」
「そう、やなあ」
何もなければこの話も、賢太郎は聞いていないはずだ。優心は真面目。話していいこととダメなことの線は、ちゃんと引いているしそれを守れる。今の話だって、詳細には何も触れていない。
真面目――だから、迷っている。過去の体験のせいで苦手意識はあるけれど、仕事として依頼があった以上は受けなければならない。役に大小はないかもしれないが、やはり三番手よりは準主役の方が、感じる責任やプレッシャーはより大きくなるだろう。だけど。
「そやし、……もう、賢太郎に決めてもらおうと思て」
「……ん?」
一瞬視線を落とし、それから優心はチラリと伺うように賢太郎を見た。口元がかすかに笑っているのが見えて、だけどそれはちょっと強張っていて、賢太郎は小さく息を飲む。
「今日。メッセ一通だけ送って、……もし賢太郎に会えたら、大きい方、頑張ってみよって。会えへんかったら、最初から来てた方で精いっぱいやて言おう、って、思って、そんで」
ああ、と胸の内で呟く。
なんとなく、そんなような気がしていた。賢太郎が気付くかどうか試した、賭けか運だめしのようだと思ったその勘は当たっていた、がまさか、
「知らん間に、そんな大役背負ってたんか。オレ」
はは、と笑い交じりにそう言うと、優心はごめん、と呟いた。
「勝手に使て、そんなんで決めようとして、さ。けど、オレホンマに自信なくて。今までは好きでやってることやから頑張れたけど、オレに求められてることができへんかもしれん、て思ったら、この業界、ホンマは向いてないんかな、とかいろいろ考えてしもて、もう、頭ごちゃごちゃになってしもて……」
「向いてなくは、ないやろ」