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君はポップスター(6)

(6)

 不意に吹いた風が頬を刺す――が、それほど寒いとは思わなかった。興奮しているせいだろう。
 優心はしばらく固まったように俯いていて、やがて小さく息を吐き、
「ありがとう。なんか、できそうな気、してきた」
 そう言って笑った。
 街灯のあかりだけでは心もとないが、心なしか表情が晴れたような気がする――もしかしたら、賢太郎がそう思いたいだけかもしれないけれど。

 そう思いたいだけ――そう考えた瞬間、なぜだか急に不安になった。

 いつものメッセで送られてくる泣き言とは違って、今日の優心は自分で結論を出せていたし、そもそも今日は何の相談もされていないのに、勝手に感づいて色々言って、優心も話さないと決めていたはずの『今はまだ秘密』の仕事の話をさせて――あれ、なんていうのこれ、どっかで見たぞ。握手会とかで推しに説教するアホの話。頼んでないし何様やねんみたいな。いやいや優心はそんなこと言わんし。言わんよな……? 急に風が冷たく感じる。
「いや……なんか、ごめん?」
 とっさに謝り、視線を外す。
「は? 何が」
「余計な……ことを、言うたかな、とか、いまさら」
「いまさら」
「オレめっちゃうざない? 大丈夫?」
 言葉にしたらその分余計に、そんな気がしてくる。なんやろ急に。今までこんなん、考えたことも無かったのに。
 ぐ、はは、と籠った笑い声。そろりと首をかしげて伺うと、優心が肩を揺らして笑っている。お返し、と言わんばかりに、背中を叩かれた。
「ホンマいまさらやし。賢太郎のそんなん、今に始まったことちゃうやん」
「え!?」
 それはつまり、以前からそう思われていたということだろうか? 良かれと思ってやっていた、というのがなかなか最悪では――何を察したのか、ちゃうで、と優心は言った。
「賢太郎、オレイヤやったらイヤやて言うし。お前に気なんか遣わへん」
「それは知ってるけど」
「賢太郎はそんでええねん、ていうか、そのままでおってや。……、」
 そのあと小声で呟いた、そういうとこ好きやもん、という言葉は、今は聞こえない振りをした。
「優心がそんなら、ええけど」
「うん、そんでええ」
「ええでて言われたら、またやるで」
「うん、そんでええよ」
「待ち受けも変えんでいい?」
「うん、そんで……、」
 途中で何かに気づいたのか、優心はこらえきれずに吹き出した。その笑い声によって、賢太郎の束の間の不安は氷解する。優心がいいなら、いい。賢太郎が気にするのはそこだけだ。
 優心にとっても自分の言葉が――自分の存在が、不安を打ち消すものになっていればいいなと願う。
 ひとしきり笑ったあと、なあ賢太郎、と優心が言った。
「うざいついでにお願いがあんねんけど」
「ついでてなんやねん」
 別にええけど、という返事を言外に置いて答えると、優心は――少し視線を泳がせて、
「オレの、て言うて。今の」
 と言った。
「今の?」
「『オレの優心は、大丈夫』って、言うて。前みたいに」
「まっ……、」
 それは、あまりにも予想外の『お願い』で、一瞬言葉が続かない。
「……前、みたいて、お前いつからオレのものになってん」
「高校卒業して、オレが東京行くとき、賢太郎が言うた」
「そんなん言うた……か? 言うたかな、……あれ、言うた気がしてきたな……」
 言葉にするたびによみがえる記憶。物事の覚えがいい方とは言えない自分が、そういうことだけはだけは鮮明に覚えているのはどうなのかと常々思っている――が、おそらくこれも愛のなせる業。
 優心が東京へ旅立つ日、そういえばあのときも、話していたのはこの公園だ。『トリップ』で祖父が淹れてくれたカフェオレを飲んだあと、新幹線の駅まで送ると言ったのに、優心はここでいいと笑った。何か気の利いたことを言いたくなって、口をついて出た言葉――、
『住んでるとこは遠なるけど、そんだけやし。何も変わらんし。オレの優心は、きっと大丈夫や』
 ――けどあれは、オレの友達の、とか、オレの知ってる、とかそういうつもりで言うて。自分でもびっくりして、自分がそう思いたかったんやな、って気付いたりして……、まあ、ええか。
 優心が欲しいというのなら、自分にできることならなんだって。
 気取るつもりはないのに、えへんと咳ばらいを一つ。ベンチに座ったまま半身だけを優心に向けて、その両肩をがしっと掴む。
「オレの優心は、大丈夫。来年の舞台も、えーと年末のフェスも、ツアーも、絶対成功する!」
 優心は、暗がりでもわかるくらいに一瞬目を丸くして、それからくしゃりと目じりを下げて、噛み締めるように頷いた。
「うん、……、うん。ありがとう」
 そして、
「これもついでや」
 と呟いて、急にぐらりと身体を倒す。え、と思っているうちに、その両手が賢太郎の背に回り、パンパン、と背中を二度叩かれた。優心の肩を掴んでいる賢太郎の両腕にそのままぼすっと納まって、いわゆるハグの状態。
「何やねん急に、アメドラか」
 と、答えながら賢太郎もその手を背に回す。
「東京の人だいたいこんなんやで」
「ウソやんマジで!?」
「ウソ」
「お前なぁ」
 優心はそのままの姿勢ではは、と笑い、賢太郎のダウンジャケットに顔を押し付けたまま、くぐもった声で言った。
「オレ、賢太郎が言うてくれたら、頑張れる」
「そうなん?」
「最初の事務所に入ったときもそうやったもん」
「オレ何か言うたっけ」
 最初の事務所、というのは高校生になったばかりの頃に所属した、例のご当地アイドルの主宰のところ。忘れもしない、ゴールデンウィークに二人で映画を見に行って、買い物をしたその帰りにターミナル駅でスカウトされたのだ。こんなん初めてや、と優心は言ったが、賢太郎はいつかそういうこともあるんじゃないかと思っていた――こんな田舎に、見る目のある人がおらんだけで。
 優心は続けた。
「ちょっとでもやりたいんやったらやったらええやん、て。優心歌うまいしかっこいいから、アイドルとか向いてると思う、て」
「あー、……うん、そう、やったな そんなストレートに言うたかな……いや、言うたな」
 名刺を受け取ったときの優心のはにかんだ笑顔は今でもはっきり覚えているし、興味を示していることはそのときすぐに分かった。
 その後事務所の人が家へ挨拶に来て、まだ子供の自分にはわからない契約だとかそういう話も両親を交えてちゃんと説明をしてくれた、と賢太郎に話す優心は、最後の一歩が踏み出せずに迷っているように思えた。だから。
 腕の中で、優心がのそりと身をよじる。まるで賢太郎の心音を聞くみたいに顔を傾け、ふふ、と小さく笑った。
「前に、賢太郎に偉そうに言うたけど、オレも、一番大事やと思てることやってんねん」
「うん?」
 優心の顔を見ようにも、キャップが邪魔で伺えない。帽子に口づけるような姿勢になっていることに気付いて、これはハグなのか、と一瞬疑問に思ったが、その後の優心の言葉で、全てどうでもよくなった。
「賢太郎が信じてくれた、オレ自身を信じる、てこと。オレの一番大事なこと」
「……、そう、なんや」
「うん」
「そうか」
 不意を突いてそういうことを言う、優心はずるい。深く刺さってちょっと泣きそうになる。
 優心が心からそう思ってくれているのなら、うざかろうが何だろうが、言葉にして、声に出してこれからも伝え続けようと思った。

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