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君はポップスター(7・完結)

(7)

 両手に触れる優心のボアジャケットは暖かいし、人の身体の硬さというのは案外心地良いものだと思う反面、いくら人気のないところとは言えそこそこ明るい夜の公園で、オレら何やってるんやろうな、と思わなくもない。
 ふ、と笑って優心が呟く、
「賢太郎めっちゃコーヒーの匂いする」
 どうやらしがみついている間にマスクがずれたらしい。ダウンを着こんでいるが、それでもわかるのか。
「何嗅いでんねん」
 そう言いながらようやく優心の身体を引きはがすと、案の定マスクはおかしな風にはずれている。
「寒なってきた。コーヒー、おごったるし店戻ろう」
 不意に思いついてそう提案すると、優心はマスクを直しながらうーんと唸って、
「や、せっかくやけどやめとくわ。実はあんま時間ない」
 と言った。今まで一度も開かなかったスマホを取り出し時刻を確認して、うん、と頷く。
「は?」
「最終で帰るわ。明日朝から稽古あんねん」
「うそマジで!? 間に合うんか!?」
 ちらりと見えた画面の時刻は八時四十分。
「間に合う、けど、もうそろそろ行かんと」
「うそうそうそ、お前こっちに何時に着いたん!? ホンマにオレにしか会ってないやん」
「だから最初から言うてるやん、賢太郎に会いに来たて。用事も、全部済んだもん」
 目元だけでにこりと笑う優心を見ていたら、急に寂しくなってしまう。
「ん……、」
「また改めてちゃんと帰ってくるわ、年明けてからやけど」
「うん、今度は普通にな」
「そうする」
 返事をしながらひらりと立ち上がる。キャップを被りなおし、身づくろいをして――その所作がいちいちかっこいい。どんな格好をしていたって、やっぱり優心はユーシンなんやなあ、とおかしな感想を抱く。時間はないとわかっているのに、なあ、と呼びかける。
「優心さ、……舞台のオファーどうこうはさておきやけど、オレがホンマにメッセ気付かんかったら、オレと会わずに帰るつもりやったん?」
 もしメッセージに気付かなかったら。家に帰ってからそれに気付けば、賢太郎は慌てて公園に向かうだろう。だけど優心がどこにもいなかったら。会えへんかったし帰るわ、なんてメッセが後から来たら――そんなん、泣いてまう。そんな想像が寂しさに拍車をかける。
 まだ中身のある炭酸水のペットボトルを両手で転がしながら、優心はけろりと言う。
「考えてなかった」
「何やそれ」
「けど……なんやろな、ああいうこと言った後からでアレやけど、賢太郎は気付くやろうなって思ってたから」
 だから賭けた――賢太郎に会えたら、大きい方頑張ってみよ、って。そう気づいて、賢太郎は嬉しくなる。期待に応えることができて、優心の背中を押すことができて、本当に良かった。だけどその喜びは表情だけにとどめて、
「謎の自信やなあ」
 と冗談ぽく答えると、優心はさらにそれに重ねるように、
「だってオレの賢太郎やもん」
 と冗談ぽく――案外本気のつもりかもしれない――返してきた。
「待て待て、いつからお前のになってん」
「え、あかん?」
「いやあかんていうか……まあ、ええか。お前もオレのやしな。よう考えたらオレも、テレビに映ってるお前見ながら『さすがオレの優心』とか言うてるもんな」
 その度に妹から『そういうの後方彼氏面って言うねんで』とウザがられているが。
 輝く照明と派手な演出、ファンの歓声。キラキラのステージの上で王子様みたいな衣装を着て笑顔を振りまく優心も、いろんなことを真剣に考え、真面目に悩み、一生懸命努力する優心も――賢太郎にとってはそのすべてが、何物にも代えがたい一番大事な宝物だ。
 アイドルであるユーシンを独り占めはできないが、『神谷優心』を誰よりも知っていて誰よりも応援しているのは自分だと思いたい。せめてテレビの前でだけくらい、オレのものだと言ってみたい――そういう、半分冗談のつもりの戯言だった。図らずも今日、優心からお墨付きをもらってしまったが、これは妹には黙っていようと思う。 
 何それ、と優心が笑う。
「いつからオレのになってんとか言うて、普通に言うてるんやん」
「学校とかでは言うてないから! 家でだけやから」
「……年明けに帰ってきたら、賢太郎ん家にちゃんとご挨拶に寄せてもらうわ」
「うん? 普通においでや。オカンも喜ぶわ。タコパしよ」
 優心が急に真面目な顔をして言うので、よくわからず返事をすると、
「やっぱあれかな、息子さんを僕にください、かな」
「は!?」
 身構えないところへ急に爆弾を落としてくるからたまったものじゃない。冗談にしてもほどがある言いぐさに一瞬で顔が熱くなる。ホンマ、あほか、お前。
「何言うてんねん」
「だってお嬢さんちゃうやんか。お土産『ばな奈』でいい?」
「そこちゃうわ、もうはよ行け。電車いってしまうで」
 本心は別れ難いのに、この手の冗談は恥ずかしすぎて聞いていられない。賢太郎が追い立てると、優心は笑いながらスマホで時間を確かめて、ホンマや、と呟きもう一度笑う。
「駅まで行こか」
「や、ううん、ここでいい」
「うん」
 それは、優心が東京へ旅立つとき交わしたのと同じ言葉。あれから三年近くが過ぎて、自分たちの関係はずっと変わっていないと思っていた。たぶん、それは半分正しくて、半分間違っている。
 優心はもちろん、賢太郎自身も成長していて、それとともに二人の関係は変わっていく。
 だけど、互いの気持ちの根底にあるもの、一番大切なもの、大事にしたいものはずっと同じ。
 だから、離れていても、遠くにいても、会えなくても、大丈夫だとはっきり言える。信じている。
「ホンマ、仕事中にごめんな。じいちゃんにも謝っといて。ありがとう、ほな」
 優心がひらりと手を挙げて、公園を出て行く。ユーシン、なんて呼びかけてややこしいことになっても困るから、賢太郎はベンチのそばから見送る。
「おう。頑張れよ、ってもう充分頑張ってるから、えーと、いってらっしゃい!! 気をつけて。家着いたらメッセくれ!」
 ごく自然に、家からどこかへ出かける人を見送るように声をかけると、優心はもう一度笑った。
「行ってきます! 賢太郎もな! また連絡するし!」
 そして二、三歩進んだところで何かを思い出したのか振り返り、右手を握りこぶしにして左胸を二回叩き、その手を突き上げた。
「あ……、」
 一瞬で思い出し、ウソやん、と思いながら同じ仕草を返す。優心は手を振りながら笑顔を残し、駅の方へ足早に立ち去った。
  
 高校一年のゴールデンウィーク。優心と二人で見た映画の、主人公たちのジェスチャーだ。君に栄光あれ、とか、冥福を祈る、とかそういった、相手を讃えるサイン。
 優心が最初の事務所入りを迷っていたとき、賢太郎は優心に、アイドル向いてると思う、と言い切った。そしてその後、こう続けたのだ。
『もしいつかさあ、優心がテレビに出ることになったら、オレにだけわかるサイン、やってや』
 野球選手がホームラン打った後とかになんかやるやん、ああいうの、と賢太郎が説明すると、優心は笑って、わかった、考えとくわ、と答えた。

 優心の姿が見えなくなり、その余韻に身を任せるようにどさりとベンチに座り込む。
 さっきまですぐそばにあった温もりが今はなく、夜の公園はとても寒い。夜空は暗いし空気は冷たい――だけどその分、星は輝く。
「なにあれ、固定ファンサやん」
 思わず呟いて、自分で自分の言葉に赤くなる。
 全方向に隙が無くかっこいいのは相変わらずだ、と思ったが、それどころの話じゃない。前よりずっと、画面で見るよりずっとずっと、優心はかっこよくなっている。

 やっぱり、好きだ、と思う。
 離れたくない、離したくない、自分の知らないところで自分の知らない人と関わらないでほしい――というような独占欲は、ない。トイラブのユーシンはもとより、ただの神谷優心に対しても。
 優心の仕事がアイドルである、というのももちろんあるが、それ以上に、優心が自分を好いてくれているという自覚があるからだ。それは昔からずっと――そして今は、ある程度『そういう意味』での好意だということにも、気がついている。
 いつ頃からそうだったのかは覚えていないが、賢太郎にとって優心からのそれは、やっぱり普通に心地よかったし、与えられたものを同じだけ返したいと自然に思えた。だからさっきのハグは、たぶん優心にとって、そして賢太郎にとっても、今できる精いっぱいの意思表示。
 お互い、はっきりとは言わない。
 言わない方がいいのだ、今はまだ。
 この先いつか、状況が変わって――そんなことは想像もしていないけれど、もし、万が一――独り占めしてもいい時が来たら、打ち明ける、かもしれない。そうならなければ、それはそれでいい。
「だってもう、オレのやて言うたしな……、て、何言うてんねんオレは」
 優心が持ってきたお土産の紙袋を片手に立ち上がる。右手をポケットに突っ込むと、優心が残していったカイロが指に触れて、思わずふふ、と笑ってしまう。
「年明け、てツアー終わってからやんな。ホンマに挨拶来る気かな……、『ばな奈』持ってきたらそんでオッケーやでウチの家。て、いやホンマ、何言うてんねんオレは!」 
 照れ隠しの大きい独り言は、しかしこの時間のこの場所では明らかに不審者だ。賢太郎は周囲を伺いつつ、んんっと咳払いをして足早に公園を離れる。
 クリスマスケーキの予約を募るコンビニのポスター、年々派手になる隣の居酒屋の電飾、賢太郎が店を出た時の常連客は、まだじいちゃんと喋っている。
 ちりんちりん、軽やかなドアベルの音は、この時期の有線で自動的に流されるジャズ調のクリスマスソングに良く似合う。
「ただいま」
 と挨拶をすると、祖父と常連客二人がそろって、
「おかえり」
 と返してくれて、思わず笑ってしまう。この店の居心地の良さは案外そういうところにあって、だから賢太郎も、優心にとってそういう自分でいたいと思う。ここがそういう場所であればいいと思う。
 新幹線の終電て何時に東京着くんやろ。帰ったら、『ばな奈』食べながら去年のライブツアーのDVD見よ。ほんで優心からメッセあったら、今見てるって言うたろ。
 そんなことを考えながら、ダウンジャケットを脱いで奥の事務所に放り込む。
 慌てて気づいてカイロだけを抜き取って、パンツの尻ポケットに入れなおす――これ、たぶんいつまでも捨てられへんのやろな、オレ。