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    幸せがまわる

    【君はポップスターより 神谷優心と七尾賢太郎】

     賢ちゃん今日めっちゃええ笑顔やなあ、見てたらこっちまで幸せな気分になるわ――常連客に言われた、と賢太郎が電話口で笑う。喫茶店で仕事中の賢太郎を、優心はまだ見たことがない。だが想像はつく。人懐こい笑顔と穏やかな声。図体はでかいくせに、案外繊細。そして真面目。
     たぶんいつだっていい笑顔だと思う、だけど今日は特別? なんかええことあったん、と優心が問うと、賢太郎は小さく咳払い。発送連絡、きたから――何の、と聞くまでもない。明日発売のユーシンのソロ写真集の話だ。お互い顔は見えないのに、きっと二人して赤くなっている。
     正直恥ずかしい、でも嬉しい。賢太郎に見せられない仕事はしたくない。賢太郎の笑顔は優心の幸せ――そうやって幸せは、まわっていくのだ。

    グループメンバーのソロ写真集が出るくらいメジャーになったトイラブ…と思いきや、ファンクラブの限定アイテムあたりがありそうな線かと思っています。ユーシンの本にはエッセイも載っていて読みごたえがある体裁。賢太郎はまだ祖父の元で修行中で、常連客からは賢ちゃんとか兄ちゃんとか二代目とか呼ばれています。

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    お好きな方をどうぞ

    【魔法使いの初恋 より 倉坂颯太と御木本櫻士】

     夏の夜、閉店後のカフェ・エニシ、掃除の後―テーブルにカップアイスが二つ。好きな方選んでいいよ、と御木本さんは言うけれど、これで喜んで選んでしまうのは子供っぽいよな、と颯太は思う。颯太は大人になりたいのだ。
     じゃあ、シェアしましょう、と提案すると、彼はいいよと応じておもむろにスプーンを手に取り―すくって面前に差し出されるアイスはバニラの香り。あの優しい声で、表情で、はい、あーん、と微笑まれたら、恥ずかしいのに抗えない。
     ―ん、待てよ。じゃあ次はオレの番?
     ハッと気づいて、今度は首まで熱くなる。御木本さんのように、普通の顔をして『あーん』なんて、できる気がしない……。
     大人への道のりは、長く険しい。

    おっ食べた、って御木本は思っている。餌付け感覚。閉店清掃付き授業はその後も継続しています。既刊三作品の中で最も年齢が高く、かつ二人の関係が肉欲に結びつきやすい設定になっているにもかかわらず、最もそういう行為からほど遠い颯太と御木本。なんなんだ。店長たちと一緒にやきもきしながら見守りたいです。

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    魔法使いの初恋 第四章

    第四章 《舫綱 もやいづな》 

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     金曜日の午後三時前。三限の授業が終わってすぐ、颯太はカフェ・エニシに向かった。
     平日ではあるがちょうどお茶時だからもしかして混んでいるかも。それなら邪魔にならないように、とにかくお礼だけ言って、コーヒーはテイクアウトにしよう。うん、そうしよう――御木本さんと、もっと普通に話をしてみたい、とは思うものの、何を話せばいいのかは見当もつかない。『恋愛 積極的にせよ』――おみくじのその文言に従うつもりだったというのに、相変わらず逃げ道を用意してしまう颯太である。

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    魔法使いの初恋 第三章

    第三章 《信じる条件》

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     『泉川飯店』は、中華料理を中心に提供する大衆食堂、いわゆる町中華の店だ。中心客層は、すぐ近くの工場や倉庫で働く人たち。学生はあまり来ない。昼は定食、夜はいわゆる『一杯飲み屋』のスタイルで、もう三十年近く営業していると聞いている。
     十月二十日木曜日、午後十時。ところどころ塗装の禿げたコンクリートの床に、使い込まれたアルミテーブルと赤い丸椅子、全部で十六席の店内でテーブルについているのは颯太と高宮さんの二人だけ。仕事は全て終えて、ユニフォーム――黒い中華ボタンのついた白い上っ張り――から私服に着替えた後である。厨房では、店長がテレビを見ながら明日の仕込みをしている。

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    魔法使いの初恋 第二章

    第二章 《フォーチュンコーヒー》

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    「あの、あの……今日は、これ……で、お願いします」
     カウンター上のメニューを指差し、颯太はやっとの思いでオーダーする。指の先には、人型に切り抜かれた御木本さんの写真。『幸運をつかむための、ちょっとした遊びゴコロ』――フォーチュンコーヒーである。
     これまで試したことがなかったのは、単純に『いつもの』ではないメニューを頼むのが心理的に難しかった、というのが理由のひとつである。マンションの食堂だって学食だって、他の店なら注文くらい何の問題もないのに、なぜかここでだけは――この人の前だけは。