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魔法使いの初恋(1)4

≪魔法使いの初恋(1)3

 金曜日の午後三時前。三限の授業が終わってすぐ、颯太はカフェ・エニシに向かった。ちょうどお茶時だからもしかして混んでいるかも、それなら邪魔になってはいけないから、とにかくお礼だけ言って、コーヒーはテイクアウトにしよう、うん、そうしよう――御木本さんと、もっと普通に話をしてみたい、とは思うものの、何を話せばいいのかは見当もつかない。だからあらかじめ、逃げ道を作っている。
 ところがこの日颯太が店に着いたとき、カフェ・エニシの店内は比較的落ち着いていたらしく、御木本さんはちょうど店の前で掃き掃除をしているところだった。御木本さんは手が空くと、時々店の前で掃除をしたり、鉢植えに水をやったりしている。
「あ、倉坂君。いらっしゃいませ」
 心の準備が整っていないうちに、御木本さんの方が先に気づいた。心臓が跳ね、頬が熱い。
「あっ、の、こんにちは」
 それでも今日は頑張って、いつもよりはっきり声に出す――と、なぜか、気持ちが落ち着くのもいつもより早い気がした。あれ、なんでかな――けれどこれならちゃんと話ができそうだと颯太は思った。
 中へどうぞと促され、頷いて先に店内へ入る。少しして、裏から回った御木本さんがカウンターに顔を出した。お待たせしました、と微笑む御木本さんに自分のタンブラーを渡して、いつものようにホットを頼む。店内を見渡すとイートインの客は思っていたより少なく、奥の隅の席が空いていた。それならと思いついて、
「あと、チョコチップクッキーもお願いします。あの、ここで食べます」
 一瞬御木本さんがおや、という顔をして、それはすぐに笑顔になった。最近はバイトの前に来るのがほとんどだし、そうでなくても利用はテイクアウト。いつにない行動がバレているようで、少し恥ずかしい。
 会計を済ませて、御木本さんとその手元を眺めながらコーヒーを待つ。幸いにも、新しい客は来店していない――お待たせしました、とコーヒーとクッキーをトレイに乗せて差し出す御木本さんに、颯太はようやく声をかけた。
「あの、昨日、ありがとうございました」
 御木本さんはどうやら覚えていてくれたらしく、いつもの表情でふふ、と笑った。
「その顔は、何かいいことあった?」
 やはり高宮さんの言うように自分は顔に出やすいのだろうか――ちらりとそんなことを考えながら、颯太は頷く。
「えっ、と、はい。あの、ずっとどうしようか悩んでたことがあって、それを友達に相談、しました。解決とかはしてないんですけど、話してよかったなって……」
 『困ったら、思い切って相談するのも大事』――これ以上ないストレートなメッセージ。困っているのも、思い切りが必要なのも、まるで全部見透かされていたような――まさかそんなはずはないけれど。
 御木本さんは、そっか、と小さく頷いて、
「背中押せたって感じかな? それならよかった」
 そう言ってまたにこりと笑う。妙な緊張はもうなくて、ただ胸のあたりが暖かい。
「自分のことってわからないもんね。僕も、背中押してもらいたいときはおみくじ引いたりするし」
「えっ……、あの、御木本さんも、ですか?」
「あれ、もしかして倉坂君も?」
「あの、はい。そこの神社、とか……」
 物見で何もかもわかるわけではない。特に自分自身のことは、物見で見ることができない。だから倉坂の家では何かあればおみくじを引きに行く。何度も引くものではないから、基本は月に一回。
 商店街の奥の鎮守は、引っ越してきて初めて参拝したときに境内で見た『キラキラ』、そこで引いたおみくじ、そのあと出会った御木本さん――颯太にとっては充分に信頼できる神社である。
「あはは、僕もよく行く」
 御木本さんが目じりを下げて笑う。思いがけない共通点に嬉しくなった。
 御木本さんが、カウンターテーブルの上で指を組む。前傾姿勢になって、いつもより顔が近くてドキドキする。ちょっと声を潜めて、御木本さんが言った。
「昨日のアレじゃないけど、困ったらいつでも相談したらいいよ。友達でも、もちろん僕でも」
 ――もちろん僕でも。
「……、は、え?」
 唐突な御木本さんの言葉に、思い切り間の抜けた声が零れてしまった。
「ん? あ、頼りないかな。僕じゃ」
「や、いや? えっと、そうではなくて」
 突然、御木本さんとの距離が近くなったような気がする――物理的に、だけではない。今、何が起こった?
「何もかも全部打ち明けるってのは難しくても、言いにくいことだってわかればその辺は察するっていうか、聞く方も、そのつもりで聞くしね」
 理解が追い付かず混乱する。戸惑う。相談、していいのか? オレが? 御木本さんに? 話しかけるのもやっとだった、ただの客の一人なのに。
 けれど、御木本さんの言葉が――昨日のフォーチュンコーヒーのメッセージが、昨日の一件の最後の指針になり、颯太自身にとっては良い結果となった、それは確かにそうなのだ。それが受け取る側の解釈の問題だったとしても、御木本さんに助けてもらったのは事実で、それがまた、颯太には嬉しい。
 その御木本さんが言うのだ。困ったらいつでも相談したらいい――もちろん僕でも。まさかそんな言葉をかけてもらえるとは思ってもいなかった。頬が熱い。胸が苦しい――苦し紛れにふと思いだす。以前店で、御木本さんに恋愛相談している女子を見かけたことがある。もしかしたら、御木本さんは誰にでも同じことを言っているのかもしれない。きっとそうだ。むしろ自分だけだと思う方が図々しい。だけど、たとえそうだったとしても、それはそれで良いじゃないか。
「……あの、オプション注文しなくても、ですか」
「注文しなくても」
 御木本さんがおかしそうに笑う。それにつられて、颯太も笑った。
「はい。あの、ありがとうございます」
 そう言って、トレイを両手で掴む。上から、御木本さんの声が降ってくる。さっきより増して、内緒話のような密やかな声。
「あのね、ついでだから言うけど」
「はい?」
 顔を上げる。御木本さんと目が合う。心臓が跳ねる――ドクン。
「倉坂君が話しかけてくれるの、ずっと待ってたんだよ」
「……えっ?」
 今日は思いがけないことばかり言われる――本当に、いったい何が起こっているのだろう。待っていた? 御木本さんが? オレを? 最初から、何か聞き間違えているのだろうか。
「今、もうそんなに緊張してないでしょ」
 御木本さんは、やっぱり何もかも知っているように言う。まさか、そんなはずはないけれど――それは確かにそうだった。御木本さんの一言一句にドキドキはするけれど、これまでずっと感じていた緊張とは違うものだ。
「え、と、……はい」
「うん」
 御木本さんはどこか満足げに微笑んだ。何でわかるんですか、と尋ねようとした矢先に、店の引戸が開いて二人組の女性客が入ってきた。いらっしゃいませ、と即座に答える御木本さんの表情は一瞬でカフェ・エニシの店員になる――だったら今まで浮かべていたのはどんな顔だというのだろう。
 御木本さんは小さい声で、またね、と囁き、
「ごゆっくりどうぞ。――お待たせしました」
 颯太が初めて恋に落ちた時と同じ、店員の顔の微笑みを残して受け渡しカウンターを去った。
 
* 

 ――何だったんだ、今の。 
 頭がぼうっとしたまま、颯太は店の奥の二人掛けテーブルに席を取り、タンブラーに口をつけた。豆の種類だとか香りの深みだとか、難しいことはわからない。でも、以前はただ苦いだけだと思っていた褐色の液体が、美味しいと思えたのはこの店のコーヒーが初めてだ。それでようやく、気分が落ち着いた。
 明るい店内、静かに流れる外国語のポップス、ガラス窓の向こうは夕暮れ時に差し掛かる商店街。見るとはなしに店内を見回す――颯太の席からちょうど対角にカウンター、御木本さんが立ち働くのが見える。あまりまじまじと眺めるのは不躾だと思うから、時々は視線を外す。
 クッキーをかじりながら、御木本さんの言葉を反芻する。『話しかけてくれるの、ずっと待ってたんだよ』――待っていた。御木本さんが。オレを。何それ、そんなこと、ある? 耳まで赤くなっている自覚はあったが、颯太は努めて冷静なふりをしてコーヒーを飲む。
 深く息を吐く、そして気づく。自分ではそんなつもりでいても、冷静なふり、なんて、実はできていないのかもしれない。御木本さんに向かって、これまでずっと『話したそうな顔』をしていたとしたら? ありえない、とは言えない、昨日高宮さんにも指摘されたばかりだ。
 嘘がつけない、顔に出る――何でもない体を装えていると思っていた分だけ恥ずかしくて頭を抱えた。忌憚なく話してくれる高宮さんだから今知れた。それなら高校までの自分はどうだったのか――あまり考えたくない。
 チョコチップクッキーの最後のひとかけを口に放り込みながら、いや、でもさ、と気を取り直す。本当に何でもない顔ができていたなら、御木本さんが『待ってた』なんて言ってくれなかったかもしれないし。高宮さんは信用してくれなかったかもしれないし――だから、そう、これは結果オーライというやつだ。そう思うことにしよう。
 コーヒーを飲みながら顔を上げる。店の対角、カウンターにいる御木本さん――と、なぜか目が合った。
「えっ」
 思わず声が漏れてしまう。近くの席に誰もいないのは良かった。御木本さんが微笑むのが見えて、慌てて会釈を返した――が、反応はこれで合っているのか? どうしていいかわからない。離れているのに、ふふ、と笑う声が聞こえた気がした。
 恥ずかしい――でも、御木本さんが少しでも自分のことを気に留めてくれているのだとしたら、嬉しい。自分の人生で、そんなこと、ある? あるのだ。
 『恋愛 積極的にせよ』――これがそのメッセージの結果なのかどうかはわからない。けれど、『良い』展開には違いない、とは思う。片想いでいい、好きでいるだけでいいとずっと思っていたのに、こんな風に縁が生まれてしまうなんて。そんなこともあるのか、いやそういうものなのかも、なんてぼんやり考える。
 縁。繋ぐもの。波間に浮かぶ船と船、船と岸――そう、まるで舫綱のような。
「……、」
 突如脳裏に浮かんだイメージと言葉。もやいづな――なんだっけ、船と船、あるいは船と岸を繋ぐロープ。
 颯太の実家は内陸で、海の暮らしに縁はない。だが、突然思い浮かんだその言葉が、考えれば考えるほど今の自分――自分と御木本さんにふさわしいような気がして、颯太は内心驚いている。
 自分たちを結びつける綱。運命だ、色は赤い――なんてことを言い出すつもりはないけれど、たった今交わした言葉によって、御木本さんと自分は、確かに繋がった。

 今この瞬間、何かが変わった、あるいは、何かが始まったような、そんな気がした。

魔法使いの初恋(2)へ続く