テキスト

アホの横山とカシコの中田(2)

≪(1)中田周の弁当事情と横山健琉の霍乱

(2)中田周のいくつかの不安と横山健琉の火傷の話

 放課後、時刻は午後五時を回ったところ。
 数学の教科書に載っている単元末の練習問題をキリのいいところまで終え、周はペンを置いて小さく息を吐いた。

 外は暑い。
 今年は空梅雨で、七月に入ってから雨は一滴も降っていない。梅雨明け宣言もしないうちから気温はどんどん上がって真夏の様相を呈し、今日も予想最高気温は三十四度の真夏日だ。
 学校を出たのは六限後の終学活が終わってすぐだから午後四時前、夕方と言ってもまだまだ暑い時間帯。山の上にある学校の前の坂道を西に下り、往来が激しい幹線道路を南下する。三つ目の信号で再び東側の坂を上る、学校から自転車で十五分の横山家は、高台に広がる古い住宅街の一番山手奥。
 玄関は大きな数寄屋門、裏には木々生い茂る鬱蒼とした森が広がっていて、庭にはいつ頃のものかわからない漆喰の大きな蔵がある――横山家はいわゆる『旧家』だ。家の横が山やから横山やねん、と昔から言っているのは、案外冗談ではないのだろう。ちなみに周の家は、幹線道路とそこに並行に走る鉄道の線路を隔てた反対――西側、坂の下にある古い集合住宅だ。横山とは、幹線道路の信号で待ち合わせるのが常である。
 昼間でも少し薄暗いような裏の森は朝晩など寒いくらいだが、この時間の野外はそれさえも負けてしまうほどの炎天下だった。けれどもそこから窓とレースのカーテンを一枚ずつで隔てた横山の部屋は、周の家のいちいちうるさい旧機種とは違う、静かで効きの良い最新型のエアコンのおかげで天国のような居心地の良さである。汗だくだった制服のシャツも、ノートを広げて問題を解いているうちに乾いてしまった。
 『勉強で教えてほしいことがある』なんて、嘘だというのは初めからわかっていた。
 多くのクラスメートが誤解していて、なおかつ横山もなぜかそんな風に見せかけているところがあるのだけれど、横山はアホだが、『頭が悪い』と言う意味でのバカではない。授業中に下らない計画を立てていたとしても、教師の話は要点を押さえて聞いているから基本的な理解は出来ているし、ひらめきや発想力は抜群だから応用問題も不得手ではない。理系に比べると文系科目はやや苦手のようだが、いずれも直前の丸暗記で乗り切っている。昼休み、五組にやってきた横山の発言に川島と二人して驚いたのは、横山が試験前に取り立てて勉強をしなくても、赤点を免れる程度の点数が取れることを知っていたからだ。
 そもそも横山に『勉強で』わからないことがあるとすればそれは子供の頃から、『納得できない』という意味だったので、『そういうもの』で納得してしまえる周の手に負えるものではない。小学生の頃は、学習教室の先生を質問攻めにして困らせていた。『勉強で教えてほしいこと』を横山が周に尋ねるというのが、もうそれだけで変なのだ――だから嘘だとわかっていた。
 六時間目が終わり終学活が終わって横山と合流し、どうする、と尋ねると、この時期放課後の教室は人が多いし、図書館の自習室は話せへんし、ファミレスだのマクドだのはうるさいし――「ウチ、来おへん?」、その提案に一瞬詰まって、それから「ええけど」。
 家に着くと家族は不在で、横山の自室の空調が効くまでリビングで待機、というのは、わりと頻繁に遊びに来ていた中学の頃もそうだった。
 横山が入れてくれたアイスコーヒーを一口飲んで早々、
「ほんで、何やねん」
 周はそう切り出した。いつもと違う、何かがおかしい横山の態度――理由の分からない不安と居心地の悪さは、早いうちに解決してしまいたかった。
「何やねんて、何」
「教えてほしいこと、て。勉強とかとちゃうんやろ」
 横山は一瞬視線を泳がせて、あからさまに取り繕って、
「――あ、と、その。……、あ、テスト範囲、」
「――は?」 
「あの――、ええと、数学。教科書の、どこまでやったかなーて」
「……、ウチのクラスとお前とこは、そもそも教科書が違うと思うんやけど」
「あ? あ、そうか、そやったな!」 
 ボトルを冷蔵庫にしまって、バタン、とドアを閉める。ごまかし方にもキレがない。
 今日の、特に昼休み以降の横山の様子がおかしいのはもう充分に分かった。その素振りから察するに、『教えてほしいことがある』というのはたぶんそうなのだろうが、勉強だのテスト範囲だのとすぐバレる嘘でごまかして、なぜだかはっきり言わない。
 横山は、周に何か聞きたいことがあるのだろう。学校や自習室、マクドや帰り道ではダメで、横山家の、横山の自室でなければならない、勉強以外の何か――全く見当もつかない。わからないという状況が、周を不安にさせる。
 テスト範囲なんてクラスのやつに聞けよ、とか、そんな話やったら人多くても問題なくない? とか、そういう言葉は、グラスに半分以上残ったコーヒーと一緒に、ごくんと飲み込んだ。
「ええと、ほな、まあ中間でやったとこの次から、やったらええか」
 と、へらっと笑う横山を尻目にグラスを置いて、
「――ほな、オレも数学やって帰る。おばちゃん何時ごろ帰って来はんの」
 無理やりのごまかしには気づかないふりで、もうしばらくここにいる、という態度を示すと、横山はホッとしたような、けれども少し強張ったような、微妙な表情で頷いた。
「あー、七時までやから、半ごろかな」
「ほなそんくらいまで」
「メシ食ってけば?」
「いや、ええわ。作りかけてんのおいてきてるから」
「そうか」
 周が料理を始めたことは、周が話す前から知っていた。母親同士で筒抜けなのだ。周の買い物についてくることもあるし、横山家で大量買いをしている野菜をおすそ分け、といって学校に持ってくることもある。驚きも冷やかしもせず、ごく当たり前のような顔をして、横山は頷いた。こういうところはいつもと変わらないのに――それでもやっぱり、今日の横山は変なのだ。
 横山は意味のない嘘を吐くような人間ではない。聞きたいことがあるならさっさと聞けばいいし、いつもなら思いついた疑問はすぐ口にする。なのに今日に限ってはなかなか切り出さない。何やねん、と聞いてもはぐらかす。周の方にも思い当たることは何一つない。
 そもそも最初に引っかかったのが『つまみ食いをしなかった』というその一点なのだから、自分もたいがいどうかと思うのだけれど――とにかくこういう状況は初めてで、どうしたらいいのかもわからなくて、ただ、不安になる。

 *

 そよそよと心地よく冷えすぎない空調。
 この暑さでは外で遊ぶ子供もいない、静かな夕方の住宅街。
 思い出したように突然その静寂を破る、庭の桜の木にへばりついた数多の蝉の声。
 ペンを置き、広げたノートの上に片頬杖をついて、周は視線だけで部屋を見回した。
 ここに来たのは久しぶりだった。
 ――高校に入ってからは、初めてな気がするな。
 相変わらず広さの割に家具が少ない。明るいフローリングの床に白い壁紙、家具も概ね白っぽいナチュラルカラー、窓は大きく明るいので、余計に広く見える、が特段殺風景と思わない。確か、横山と周が中学の初め頃に、純和風建築の家の中だけがリフォームされた記憶がある。
 タオルケットが丸まっているベッド、ゲーム専用の大きなテレビが乗ったAVラックは以前からあったものだ。中学の頃はよくここで、テレビゲームをして遊んだ。ラックの中にゲーム機とソフトが収められている。コードがはみ出ているのは今も遊んでいるからだ。シリーズ物の新作を買ったと、ゲーマーの宮川と話していたのを思い出した。あの頃遊んだソフトやハードは全部横山の兄姉のおさがりだったが、周の家にはゲーム機すらなかった。
 その隣、天井つっぱりの薄い本棚には、歴史物からファンタジー、スポーツ、果ては恋愛ものまで、見たところ様々なジャンルのマンガが無秩序に並んでいる――まだ周が頻繁に遊びに来ていた頃から、タイトルが大幅に変わっていた。趣味の変化、ではなく、たぶん家を出た兄姉からもらい受けたのだろう。横山は以前から、マンガに関しては濫読の気があった。辞書だの参考書だのの類が一冊もないのは横山らしかった。
 学習机がなくなっていて、代わりにまるで飲食店の座敷席みたいに短辺を壁につけたローテーブルが据え置かれていた。これが案外、二人分のノートや教科書を広げるのにはちょうど良い。テーブルの周りには、そう呼ぶには小洒落たカバーのかかった座布団が敷かれ、そこに座って向かい合わせに教科書を広げる周と横山。
 部屋中に視線を巡らせた後、見るとは無しに目の前の男に視線を投げる。ノートに目を落とし手を滑らせる、俯き加減の幼馴染――横山健琉。
「……、」 
 向かい合って座るのが久しぶりで、思わずまじまじと観察してしまった。良くも悪くも目立つ幼馴染は、黙っていれば――いや、黙っていても挙動がアレだから、そう、動きさえしなければ――なかなかの男前だった。
 横山が取り組んでいるのは、理系クラスのサブテキストに載っている応用問題だ。教えて欲しいことがあるなんてよう言うたな、とぼやきたくなるほどサラサラと問題を解いていく、その数式を綴る横山の指に目を奪われる――そう言えば五月の火傷は右手だったか?
「何、」
 顔も上げず手も止めず、横山が言った。
「え、何」
 気付かれているとは思わず、一瞬たじろいで何とはなんだと聞き返すと、横山はちらりと上目遣いに周の顔を見て、ウフフと笑った。
「そんな見つめんといてや。照れるわあ」
「……、アホか」
 その満面の笑みに、思わず脱力のため息。
 口を開いて動いた途端に、これだ。
 

 横山健琉は――アホである。
 口を開けばふざけたことばかり、動けばろくでもないことばかり。幼稚園からずっと一緒の周の記憶には、健琉のそうしたエピソードなど、掃いて捨ててもまだ余るほどである。
 幼稚園の頃はウサギを飼っていた飼育小屋に入り込んで餌を盗み食いし、小学校ではビオトープの鮒を釣り上げようとし、中学校では中庭に生えている枇杷の木から実をもいで食べていた。それにさっきの――教師の誕生日をクラスで祝う、その首謀者。
 そういう『普通』はやらないことを、横山はやる。なぜそんなことをするのかと問えば理由は明確で、『わからないことを知りたかったから』だ。
 ウサギの餌や世話もされないのに実った枇杷の味を知りたくて、鮒の大きさが知りたくて、笑わない教師の笑顔が見たくて――悪戯のつもりなど全くないし、まして誰かを傷付けるわけでもない。ただ自分の好奇心に忠実な行動をとる。そのある意味無駄な行動力が、昔からアホだと言われているし、周もそう思っている。
 横山はアホだがバカではない。だがその学業成績は、実のところそれほど良くはない。特に中学までのそれはなかなか酷かった。中学の頃の横山は、テストの問題が悪いと教師に食ってかかったこともあるし、いわゆる『ひいき』をする教師の授業は徹底してサボり、興味がなければノートは取らない――これについては、誰かに迷惑をかける訳でないので周も何も言わなかった――そういう態度が不真面目だとされ、結果評価は低くなる。テストだって真面目にしっかり備えて受ければいい点数を取れるはずなのに、それをしない。つまり、バカではないのだが、普段の素行と態度が祟って成績が悪かった。中学三年の頃周が見せてもらった横山の通知表は、運動能力がそのまま数字になるような体育を除けば――これだけは昔から今もずっと最高評価だ――、評価は概ね、中の下、あるいは下の上。理系科目ですら、五段階の三である。
 中学までは義務教育だから、成績はどうあれ卒業はできた。しかし高校ではそうはいかないし、留年だってあり得る。だから二人揃って同じ高校に合格した時に、周は横山に言った。
「お前、高校はさすがにちゃんとせんと一緒に卒業できへんで。振りでええから真面目にやれや」
 言えば素直に、ウンと頷いた横山である。
 やたらといろんなことをやらかし親や兄姉、教師たちの手を焼かせてきた横山も、昔から――思い返せば幼稚園の頃から、なぜか周の言うことだけは聞くのだった。
 そして高校二年現在の横山の成績は、まぁそこそこ――中の中。必要かどうかを自分の物差しで測るから、不要と思えば宿題もしない、だから態度が悪いと目されるのは相変わらずだが、高校に入って成績評価の方法が変わったこと、問えば納得するまで答えてくれる専門知識を備えた教師が増えたこと、そして何より多少は真面目に授業を受けている――振りをしている――からだ。教室に居さえすれば、何をしていても話は聞いている。
 それはたぶん、周がそう言ったから。
 やること言うことはアホで、でも今は成績はそこまで酷くなくて、別に無駄にツッパッているわけでもなく、誰かに迷惑をかけるでもなく――そこに加えて、この目立つ容姿と、生来の人懐こさもある。
 友達というのは周を含めても多くはない――のは周も同じ――だが、誰とでも話すし、横山がクラスメートに対する好き嫌いを言うのは聞いたことがない。
 それに、周のクラスに遊びに来ると一部の女子がざわつくし、三組の前を通ると横山に話しかけている女子をよく見かけるのは、つまり、そういうことなのだ。
 小中の頃は多少の反発はあったらしいが――主に保護者から、ウチの子が影響受けたら困るから健琉くんとはクラス一緒にせんといてください、というような――今はアホさ加減に煙たがられているというようなこともない。トータルプラマイゼロ、ややプラス、といったところで、現在の横山は学校に於いて、一種独特な地位を保っていた。

 横山の方もキリがついたのか、ペンを手放したついでに、ンア、と大きく伸びをして、それからバタッとノートの上へ手を投げ出した。首を左右に鳴らし、
「めっちゃ集中してた、肩凝った」
 と笑った。確かにこの四十分くらい、『教えてほしいことがある』横山と『何を聞かれるのかわからない』周、気にして当然の二人がお互いの存在を全く意識せず数学の問題に没入していた。
 ノートの上に広げられたその右手の親指と人差し指に目をやりながら、周は訊く。
「もう、どうもないんか」
 横山が問い返す。
「何が?」
「指」
 横山はああ、と声を上げ、軽く握った右手から二指を広げた。その腹は、ほんの少し色が違っていた。
「まだ、ちょっと痕ある」
「ほんまや」
 言いながら周は手を伸ばし、横山の指に触れた。指の他の部分とは違う、少し引き攣れたようなつるりとした手触り――瞬間、その指が、びくりと震えた。
「えっ、あ、ごめん。まだ痛いんか」
 不用意に触ってしまったことに気づいて慌てて手を離すと、横山も少し慌てたように、ちゃうちゃう、と声を上げた。
「いや、もう、どうもないねん」
「それ、治るん? 痕」
「や、医者は残らんやろて言うてた」
「ほなええけど」

 横山はバカではないがアホなので、しばしば色んなことをやらかす。
 それは二ヶ月ほど前――連休明けの五月初めのことだ。

 周と横山は揃って帰宅部で、特に誘い合わなくても授業が終わればだいたいいつも一緒に下校する。幼稚園から高校一年の去年まで二人はずっと同じクラスで、中学では同じ部活動に所属していたし、それは二人にとってごく当たり前の日常である。二年になってクラスが別れてもその習慣は続いていて、終学活が長引きがちな周のクラスへ、横山が迎えにくるのが常だった。
 ところがその日は学活が終わっても横山が姿を見せないので、何かあったのかと周が三組へ行ったのだが、とっくに放課の教室に横山はいない。人待ち顔の周に三組の生徒が告げる、横山なら保健室におるで。何事かと駆けつけると、保健室の前でバッタリ横山に出くわした。
「あれ、どうしたん」
 呑気にひらりと振った右手の指先には、白い包帯。背筋が凍った。
「どうしたんちゃうわ、何してんそれ」
 口早に問いただすと、横山は照れ臭そうにへへと笑った。
 六時間目の化学の授業でアルコールランプを使った時に、マッチの火を指で消そうとして失敗し、右手の親指と人差し指に火傷を負ったのだという――笑い事ちゃうし。
「何やってんねん……」
 と呆れると、横山は、
「だっていっぺんやってみたかってんもん」
 とやっぱり底抜けに明るく答えるものだから、始末に負えない。この顔に爽やかな笑顔なんて、卑怯というものだった。
 横山は時々こういう怪我をする。小学校の時にはコンセントにピンセットを突っ込んで感電しかけ、中学の時は線香花火の火玉を手に取ろうとして火傷。そういえば幼稚園の時だって、アイロンに触って火傷をしていた――成長せえへんな、ホンマに。
 人を傷つけはしない分、自分の怪我には頓着しないらしく、『やってみたかった』でやってしまう、やらずに居れない性格は痛い目に遭っても変わらないようだ。
 思えば傷を残すような横山の暴挙は、たいてい周のあずかり知らぬところで行われ、周はいつも事が終わった後に、包帯の下のひどい痕だけを知らされてきた。誰にも迷惑をかけないのならばともかく、誰かを傷つけるのは、アホでは済まない――周りの誰でも、横山自身も。時折こういう度を越したやらかしをするから、周は横山の行動をアホだと思いながらも心配で目が離せない。
 だが、今年からはクラスが違う。目が離せないどころか届かない、そこへきて、この化学の授業である。
「病院行くんか」
「行け言われた」
「外科? 皮膚科?」
「あ、どっちやろ。調べなわからん」
「見たるわ」
 利き手の二指が使えない横山に代わってスマホを取り出し、検索をしながら頭の半分では外科ならタカダ医院、皮膚科ならテヅカクリニック、と近所の病院に当たりをつける。そうやって火傷のせいで束の間不自由をする横山の世話を、甲斐甲斐しく焼いてしまう、それはもうある意味、反射的な行動だった。そして後から、誰にするでもない言い訳を頭の中に思い浮かべる――今オレがほっといたら、こいつ絶対病院行かへんし。
 結局火傷は皮膚科の管轄で、その日周は夜間診療の始まる時間まで横山と一緒に学校の図書室で暇を潰し、横山がちゃんと病院に入っていくのを確認してから、
「待っててくれへんの」
「何でやねん、おかしいやろそんなん」
「そうか?」
「そう。ほなオレ行くし。保険証は今度持ってくるって言えよ」
「ウン」
 家に帰った。

 『アホの横山とカシコの中田』、そう呼ばれながらもう十年もそんな関係が続いている。
 やってみたいことはすぐやりたい、こうと決めたらそれを貫く芯の強さ、というよりも我の強さが目立つ横山と、真面目にこつこつ積み重ね、悪目立ちはせず万事控えめで大人しい周がつるんでいることを不思議に思う者も少なくないようだが、横山が昔から、なぜか周の言うことだけは素直に聞くものだから、そのうちみんなそういうものだと納得してしまう。 
 無鉄砲な幼馴染が、今度は何をやらかすのか、怪我をしないかとただ純粋に心配だというのもあるし、そもそも幼稚園の頃からずっと同じクラスで、仲間内では一番仲のいい友達同士で、横山と周が一緒にいるのは空気のように当たり前だったから、周が横山の手綱を握るのはごく自然なことで――そしてそれが、周囲にとってもたぶん二人にとっても、一番の平和なのだった。
 けれど今年は、クラスが別れた。周は文系、横山は理系。本人の希望と成績によって二年のクラスが決まるのは一年の時からわかっていたし、そういうこともあるかもな、とは思っていた――それはたぶん、横山も。
 同じ教室の、目の届くところに横山がいない日々は、周にとってはある意味新鮮で、そして思っていたより穏やかに、ごく普通に過ぎていった――横山が火傷を負うまでは。
 横山の右手に巻かれた白い包帯を見た瞬間感じた恐怖。
 自分がいなければ誰も止められないのかという不安、それは裏返せば、横山が自分の言うことはちゃんと聞く、という自信。そして気付く、二年になってから心のどこかで抱えていた物足りなさや寂しさに。
 ――あかんよなあ、これは。
 横山が病院に入っていくのを見届けたその帰り道、周はそういう感情をはっきりと自覚し、同時に――気づかないふりをしようと決めた。だってそれは――当たり前、やったら、あかんから。たぶん。
 そしてこの先も、やり過ごすべきだと思っていた。 

(3)中田周と横山健琉、それぞれの選択肢≫