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アホの横山とカシコの中田2(2)

≪(1)横山健琉と中田周がそういう関係になるまでのあれこれ
(2)横山健琉の独り言 決意と反省と悩み多き夏休みの初め

(20200830改稿)

*

「あっ、しもた弾切れしてるやん」
 午後九時過ぎ、自室にこもってゲームに勤しむ健琉は思わずひとりごちた。
 うっかり装備が整っていない状態でダンジョンに踏み込んでしまった。うろうろしていればどこかで拾える可能性はあるが、今日は著しく集中力を欠いている。敵の攻撃をかわしながらアイテムを拾い続けて、その流れでフロアボスに勝てるような気がしない。あかんわ、と健琉はコントローラーを放り投げ、そのままベッドに倒れ込んだ。
 
 高校二年の七月後半――夏休みに入ったばかりの水曜日。
 期末テストは今回もそれなりにこなして赤点は免れ、成績は微動するも並みの並あたりで安定。進路希望調査票もちゃんと提出した。志望校を見て驚いた担任に呼び出されもしたが、そこは強い意志を切々と訴えた――まあ中田が一緒やったら大丈夫か、と納得されてしまったのが恥ずかしいような照れくさいような――もちろん『そういう関係』であることが教師にまで伝わっているわけではないだろうけど。
 
 『そういう関係』――ベッドに仰向けになって天井を眺めながら、健琉はんふ、と目を細めた。
 それと気づかないうちから恋をしていた幼なじみの中田周と気持ちを打ち明け合って、長い長い片想いが両想いになったのは今月の初め。
 健琉の方はもうずっとずっと前から周のことを特別に思っていたし、どうやら周の方も自覚の有無はともかくそういう気持ちでいてくれたらしい。友達やクラスの人たちには、すでに『そういうい関係』だと思われていた節もある――周以外にどう思われようが、健琉はほとんど気にしないのだけれど――だから自分たちの関係は、少なくとも対外的には何も変わっていない。
 だが、あの日以来周は、健琉が弁当をつまみ食いしたり、教室の外で待っていたり、移動教室ですれ違う時に手を振ったりする、そういう健琉の行動の何かにつけて『ああそうか』と気づいたような表情をし、ちょっと照れたりする。それが――かわいい。めちゃくちゃかわいい。この『かわいい』という気持ちそのものさえ愛しい。これまでだって周に対してそう思うことがなかったとは言わないが、前よりも今の方がずっとかわいい――一度思わず口走ってしまい、海原からは露骨におかしなものを見る目を向けられ、宮川は不思議な笑みを浮かべていた。
 行動は何も変わっていないのに、ただお互いの気持ちを知っている、というだけで新しい感情が生まれて、心が動く。言葉一つ、表情一つの反応が、それを加速させる。七月の頭より今の方が、健琉は周のことをもっとずっと好きだし、この気持ちは募り続けて行くのだろう――『この先もずっと』。
 
 『この先』。

「……、うっ」
 頭の中に浮かんだ言葉が、ベッドに寝転ぶ健琉の上にドスンとのしかかる。健琉は思わず唸り声を上げた。テレビの画面は操作を放棄されたキャラクターが敵の攻撃に倒れたところで、『GAME OVER』の文字とともに流れる悲壮な音楽――不吉なんやめーや。

 *

 ずっとずっと好きだった相手と『そういう関係』になったばかり、試験も終わって楽しい夏休み――のはずなのに、今ひとつ弾けられず、逃避先のゲームですら集中力を欠いている。
 それは『この先』、つまり健琉がこれまでちゃんと見ようとしていなかった『卒業後の進路』、大学を目指すための『受験勉強』という大きな問題が、健琉の目の前に圧倒的な存在感を持って居座っているからだった。

 六月の終わりに進路希望調査票が配布された時、周はどうするんかな、とは思った。周は頭ええから、どこか難しい学校に行くんやろうな――なんとかして同じところに行くことはできないか、成績が足りなければそこで働くという手はあるか、みたいなことを想像はした、がその時はまだ、周に確かめはしなかった。
 急に気になり焦ったのは、周に告白をした去年のクラスメートの、同じ大学がどうとかいう話を聞かされた時。自分さえ知らない周の進路希望をその子は知っているのか、というのが健琉にとってはかなりの衝撃で、他にも色々と思うところはあったけれどもただ受験に関してだけ言えば、二人で同じところに通うというのなら、――オレかて目指したってええやんけ。結局その話はガセネタで、あの時点ではまだ周自身も明確に大学を絞っていたわけではなかった、だから健琉は勢いで決めた。――大学行くんやったら、オレ中田と同じとこがいい。
 結局その日のうちに健琉と周は『そういう関係』になり、健琉の決断は不動のものになる。何がなんでも、絶対、周と同じ大学に行く。しかしやっぱり蓋を開ければ案の定、周の目標は、今の健琉の成績では志望することさえ無謀に思える偏差値の高い学校だった。

 自分のレベルに合ったところを目指すより過酷になることが決定づけられた健琉の『受験勉強』――やる気はある。当たり前だ、周と一緒にいるためなのだ。お前やったら真面目にやればどこでもいける、と周は言ってくれたし、健琉自身、こと周に関して発揮する力は底知れないと思っている。案外、やってやれないことはないかもしれない――考えるよりまず動くのが健琉の性分だ。
 そんなこんなで二学期の試験が終わり、時は折しも夏休み。普段の教科担任が学校で行う夏期講習や、近隣の大学の講義室を借りて他の学年の教師が行う特別講座が盆休みまではほぼ毎日ある。周が申し込むならオレも行く、という体で受講を決めてはいたが、こうなったらもうちょっと自分から――主体的に授業を受けた方がいいよな、と一念発起し、周にさえお前どうしたん、熱でもあるんちゃうか、と心配そうに尋ねられる程度には、真面目に受講している。ゲームに勤しんでいる今日だって、朝の九時から午後三時まで、家から自転車で三十分ほどの大学で、国語と数学と英語の特別講座に参加してきたところだ。

 やる気に火がついた今、会場の大学まで周と一緒に通い、隣りに座って一緒に授業を受ける、その非日常感は楽しい。だがそれ以上に、思いを打ち明け合ったあの日、周に言われた苦笑交じりの言葉が、健琉の中に引っかかっていた。
 『お前、そんなべったりでどうすんねん』――特別講座を真面目に受講しようと思っている、もう一つの理由。
 
 あの時は、イヤやないんやったらええやんけ、と嘯いて見せたけれど、本当のところは血も凍るかと思うくらい胸のあたりが冷たくなった。周に問われた瞬間、そばにいたいと思っているのはやっぱり自分だけなのか、とか、なんでも周基準になっている自分を、周が鬱陶しがっていたとしたら、とか――あらゆる最悪の状況を想像した。
 周の気持ちを知った上でなら、それがどういう意味であれ健琉を遠ざけるためのものではないとわかる――そして今、健琉はその言葉を、自分への戒めのように感じていた。
 お互いにずっと特別だったのなら、この先も二人の関係は変わらない、と健琉は思ったし周にも言ったが、自分は変わらなければならないことに気付いたのだ。普段の行動も、学生の本分であるところの勉強に関しても。
 これまでも、そしてきっとこれからも、健琉の行動基準は何より周だ。自分にそのつもりがなくても『アホ』だと言われる行動は、好奇心に端を発しているのは間違いないのだが、周に構ってほしくてやっている部分が、少ないとは言えない、そういう自覚はある。幼稚園の頃の『火傷事件』が尾を引いているのは確実だった。
 だが、お互いの気持ちがはっきりした今、ようやく考える気になった『この先』を思うと――あんまりそういう、幼稚なことはやめた方がええな。もうせんでくれ、って周にも言われたし。
 学期中だろうが夏休みだろうが、本当は毎日でも一緒にいたい。だけど『この先』、少なくとも確実にやってくる二年後、高校を卒業したあとも一緒にいるためには、とにかく健琉は周と同じ『カシコのとこ』に合格しなければならない。べったりではあかんし、もっと自分でも考えなあかん、少しは一人で頑張ってみた方がええのかもしれん――だから今年の夏休みはまだ遊びに行く約束もしていないし、周の図書館通いにもついて行っていない。帰って課題やるわ、と実に自分らしくない言葉で断る健琉に、周は驚いた表情を向け、めっちゃやる気やな、と少し笑って、ほなお互いがんばろうな、無理すんなよ、そう言い合って別れた――のが、特別講座の初日、月曜日の話。
 クラスが分かれた四月だって大丈夫だった、そんなのどうということはないと思った。一緒にいる、そばにいるというのは、何も物理的な距離だけの話ではない。離れていたって、周と同じ目標に向けて頑張れるのは素晴らしいことだ。脱・べったり。だから健琉は、特別講座にも真面目に通うし、八月からの夏期講習だってやる気満々――だった。

 過去形。

 そういう日々がたった三日で、もうダメだった。
 会いたい、一緒にいたい、のに、自分で会わないと決めた、それが思った以上にストレスだったらしい。よく考えたらクラスが分かれた後わりとすぐに健琉は例によって『アホ』をやらかして火傷をしている。結果的にそうなるかもしれない、なってもいいというような、いわゆる未必の故意だった。全然、大丈夫ではなかった。
 最初はやる気だったのに、あまりにも早すぎる燃料切れ。そもそも自分で進んで勉強するような習慣がないのに、いきなり一人で頑張るなんて、設定したハードルが高すぎたのだ。家に帰って問題集や参考書を机に広げてはみるが、集中できない。逃避とばかりにマンガやゲームに手を出すが、そちらもそれほど面白く思えない。元々成績も良くないし――周以上に頑張らなあかんのに、全然頑張れへん。
 意欲よりも義務感だけが大きくなる。気ばかり急くなんて生まれて初めての経験だった。
 それですっかり『この先』とか『将来』とか、そんなことを考えるだけで憂鬱になってしまった――それが、今日、まさに今の話。
 
 *

 はああ、と健琉は深い深いため息をつき、枕にしがみついてごろんと寝返りを打った。
 ――やっぱ今日は、誘い断らんで一緒に図書館行けばよかったな、アホやな~。
 周ともっとずっと一緒にいたい。せっかくの夏休みなのだ。会いたい。夏休みに入ってからも平日は毎日講座で顔を合わせているが、家に帰ったらまたすぐ会いたくなるし、そばにいるだけでいい、いやそれはウソ、学校じゃないのならもっと触ったりしたいし、キスもしたいしできたらそれ以上も――、
「……いや、あかんてあかんて!」
 うっかりそういう方向に思考が及んでしまい、健琉は慌てて半身を起こした。
「それ以上も以下も、何もないし!」 
 あの日以来、周との間で、そういう意味での進展はほとんどない。学期中はまず二人きりになる機会がなかったし、土日はバイトだ家の用事だと都合があわず遊びにも行っていない。やっと夏休みに入ってからも、敢えて一人で頑張ろう、だなんてストレスにしかならない決意に燃えていた。

 それにそもそも――周に対して、『それ以上』を望んでもいいのかどうか、それさえはっきりしていない。

 健琉自身、そいういう欲は人並みだと思っているし、そういった類のグラビアだとか動画だとかを目にすれば、当たり前に反応もする。帰省するたびに兄が置いていくからその手の雑誌もいくらかは持っている。だが周はそういう――いわゆる性的な話題に、あまり興味がない、らしい。中学の頃、周が健琉の部屋に遊びに来てうっかりしまい忘れていた雑誌を目にした時は、『ふうん、まぁしまっといたほうがええんちゃうそういうのは』くらいのもので、恥ずかしがるとか嫌がるとか、興味を示すとかいう『反応』が、一切なかった。
 周がそういう態度である以上、健琉も話題にするのは気が引けたので――何しろずっと自分だけの秘めたる片思いだったのだ――、これまで口に出さなかったし、『そういう関係』になってからもずっと聞けずにいた。
 健琉の『好き』は、自覚した時から触れたい、抱きしめたい、キスしたいような――要するに身体的な欲も含めた『好き』だ。
 もちろん周への想いは今も、子どもの頃に抱いた特別で大切にしたいという気持ちの延長にある。神域を侵すようなうしろめたさ、なんてことも、無くはない――とはいえ実際、それはほんの少し。正直なところそういう背徳感にさえ興奮する、とかいうのは――周には絶対言えへんけど。
 初めてキスをした時周が一瞬浮かべた物足りなさそうな表情は、健琉の気のせいかもしれないし、そうじゃないかもしれない。周の望まないことはしない、というのはもちろん大前提なのだが、直接聞いて確かめたとして、周は嫌だと言わず、健琉を甘やかす提案をしてくる可能性もある。そもそも直に顔を合わせて尋ねるタイミングをずっと逃しているし、メッセージアプリや通話で尋ねるのはなんだかもったいない気がする、のは要するに周の表情を見ていたいから。
 健琉と周、二人の時間が合えば、健琉の家は昼間誰もいない。『せっかくの夏休み』という言葉が、健琉の頭の中でぐるぐる回る。
 周の『好き』は、どういうものなのか。 
 手をつなぐ、ハグをする程度なら、打ち明け合う前からクリアしている。
 キスはした。また今度、もあると周は言った、だからクリア。
 じゃあ、その先は? 自分の方が周相手の想像にさえ勃つし抜けるのは検証済みである。さて、周の方はどうだろうか――、
「だから! 考えたらあかんて!」
 と自分に言い聞かせてはみる、が、いつだって周に関する妄想には歯止めが効かないのだ。周が自らそういうことをするかどうかさえ話題にしたことも無いのに――、
「……周が? 自分で…? ……、」
 思わず想像してしまう自分が情けない、が、これはもう自然現象なのでどうしようもない。ただ周のことが好きというだけなので、誰も何も悪くない、はずだ。
 はあ、とこぼれる小さなため息。
 風呂にでも入ってどうにかするか、しょうがないので処理するか。
「……風呂行こ」
 呟いてもう一度深いため息をつき、ベッドから降りた、その瞬間。テーブルに放り投げてあったスマホが音を立てる。メッセージの着信――なんとなくそんな気がして、慌てて飛びつく。
 
 かくしてメッセージは周から。ぽこんぽこんと立て続けに吹き出しが表示される。

『明日の講座のあとって、ひま?』
『ばあちゃんが片付け手伝いに来いて言うてるんやけど、来る?』

 返事は一択、即答である。
「行く!!!」

(3)横山健琉と中田周の、普通と特別についての問いと解 ≫

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