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アホとカシコの友達の話(1)

(1)海原慶昭(うなばら・よしあき)はじれったい二人の続きを読みたい

 *

 ホンマにおもろいヤツやなぁ――片肘で頬杖をつき掌で口元を押さえて、海原慶昭は音を立てずに喉の奥でくくっと笑った。今は三時間目の国語の授業中。思い出し笑いである。
 教室中央後部の自席から明るい窓際の席をちらりと盗み見ると、真剣な様子でペンを動かしている横顔が眼鏡の端に見える――が、これは板書をとっているわけではなく、十中八九、資料集に掲載されている作家の写真に落書きをしているのだ。ただ、そんなことをしているからといって授業を聞いていない訳ではないらしく、抜き打ちのノート提出なんかは案外そつなくこなしている。中学の頃からやることなすこと『アホ』と名高いクラスメート、横山健琉とはそういう人間だった。 
 横山とは中学三年で初めて同じ組になった。クラスの半数以上が受験する地元の公立校に進学し、一年の時もまた同級。二年次の今年は希望進路別のクラス分けで、進学理系の二年三組で一緒になった。この一年何事も無ければ、おそらく来年も同級生だ。

 一年の時、なんとなく馬が合ってつるんでいた同中出身の五人グループの内、海原と横山、それから宮川裕翔が理系クラス。川島一樹と中田周が文系クラスで別れてしまったが、五人は今でもそれなりに仲がいい。連れ立って何かをするということはそうないが、何かの折に互いを友達と認められる存在が同じクラスにいるというのは、学校生活を送るうえで重要なことだし、クラスの違う友達というのも――忘れ物をした時なんかは特に――大事だ。と、そんな言い方をするとまるで自己中心的な損得基準のようにも聞こえるかもしれないが、そもそも、付き合うことで損害を被る相手を友とは呼ばない、と海原は思う。
 唯一の運動部系で八方美人のきらいはあるが友達への裏表はなく面倒見のいい川島。これは同じ町内に住むご近所さんでいわゆる幼馴染みでもある。中学の一時期疎遠だったが、高校に入ってから――この言葉が適切かどうかはわからないが――仲直りした。
 おそろしく人が良く、存在感が大人しく控えめだがつつくと引き出しの多さに驚かされる宮川。聖人君子の具現化かと思いきや付き合っていくうちに見え隠れするギャップから目が離せない中田。そして――こちらの予想や想像を超えたことを突然やってのけ、悪目立ちするかと思えば案外そんなことも無く、煙たがられることも、まして何らかの標的になったりもしない不思議な存在、横山。
 相談でも冗談でもどうでもいいくだらない話でも――交わす会話が楽しい。見ていて飽きない、面白い。おまけにみんな揃いも揃って、誰かや何かをバカにしたり、貶すようなことを言わない。それが精神衛生上どれほど大切かを、海原は彼らから学んだ。自分もそうありたいと思えた。どこか息苦しかった中学の頃とは違って、今は学校生活が楽しい――もうそれだけで、得したどころか丸儲けである。面と向かって口にはしないが、この四人と友達になれてよかった、と海原は常々思っている。

 *

 それはそれとして――思い出しては笑ってしまう、今日の『横山ショー』である。
 二時間目、政治経済の授業中に担当教諭である多田先生の誕生日を祝う、という横山の馬鹿馬鹿しい企みは、宮川と共にあらかじめ聞かされてはいたが、こういう時の二人はいつも、共謀者というほどの立場ではない。横山はやると決めたら自分で勝手にやるし、海原や宮川あたりが止めたところで止めないし、そもそも止める必要のあるようなことはしない。
 タダセンの笑ったとこ見てみたいやん、という横山の思い付きは素直に面白いと思ったので、授業内での質問時間に横山が挙手して、先生今日誕生日でしょ、と切り出した時に援護射撃のつもりで拍手をした。そうしたら思いのほか賛同が広がって――ノリの良さがマストとされるグループはわかるとしても、真面目で堅物だと思っていた女子生徒までも笑って拍手をしていたのにはちょっと驚いた――、結果クラスみんなで大合唱ということになってしまった。
 二時間目が終わった休み時間、教室の中には高揚した空気と充足感が漂っていた。普段笑わない多田先生の笑顔を、クラスみんなが『見てしまった』という、不思議な感動と謎の連帯感。クラスのちょっとチャラい系の男子生徒と横山がハイタッチしているのを見るとはなしに眺めていたら、それに気づいた横山がやってきて、
「拍手! あれ海原やろ。めっちゃええタイミングやったわ、最高」
 そう言って笑うので、海原も悪い気はしない。
「せやろ。てかよー知ってたな、誕生日て」
「やっちゃん先生に聞いてん」
 やっちゃん先生――生物の八谷先生は年中ポロシャツを着ている男子テニス部の顧問で、授業中の無駄話が多い。一年の時も教科担任だったやっちゃんは授業そっちのけで余計な話をするので、そうなると海原あたりにとっては格好の内職タイムなのだが、横山はそういうときほど食いつく。休み時間に追いかけて行って質問もする。男子高校生が生物教師に『警察官に職務質問された時の対処法』の詳細を聞きに行く場面、といのも、そうお目にかかれるものではない。そして教師というのは得てして質問されると嬉しいもののようで、そういう経緯があって横山とやっちゃんは仲がいい。
「マジで。てかやっちゃんこそ何で知ってんねん」
「自分で言うてたて」
「タダセンが?」
「うん」
「マジでか。どういうタイミングで言うねん、ほんでなんで覚えてんねんやっちゃんも。ツッコミどころ多すぎるわ」
 そこに、手洗いに行っていた宮川が戻って来た。海原の隣に横山がいるのを認めてふっと吹き出し、
「今そこでやっちゃんにつかまったで。横山か、て笑てた。四組で授業やってんて」
 横山はアッハ、と声を上げ、宮川の肩をぱんぱんと叩いた。
「あとでやっちゃんにお礼言いにいくわ、ええもん見れたし」
「なんでお礼?」
「タダセンの誕生日、やっちゃんに聞いたんやて」
 笑いっぱなしの横山に代わって海原が答えると、腑に落ちたといった顔で宮川がうなった。
「はー、横山か、ってそういうこと」
 ごくごく普通の『常識』という枠で考えれば、授業中に教師の誕生日を祝う歌をうたう、なんていうのは相当な『非常識』に該当すると思うのだが、隣のクラスで授業をしていたやっちゃん先生も、当のタダセンも怒らない。階段を挟んだ四組に聞こえていたということは、たぶん五組の川島や中田にも聞こえているだろう。あの二人ならなんと言うだろう? 川島なら、アホやな、と笑うか。中田もたぶん笑いながら、休み時間にせえ、位は言うかな。
 キャラクターゆえかタイミングの問題か、とにかく横山の手にかかると、突拍子もなくふざけた『アホ』な行動も、咎められるどころかちょっといい話みたいになってしまう不思議。横山の場合、ウケを狙っているわけでも、こちらを笑かしに来ているわけでもない。アホの動機は、恐らくは純粋な好奇心によるものだ。
 そういうところが、どこかエンタメ小説の主人公めいていて、まるで見せ場のワンシーンのようで、それは観客のいるショーでもあって、海原はその観客の一人。しかも、なかなかの特等席に座っている。
 ――おもろいわ、ほんま。

 *
 
 三限が終わって、ざわつく休み時間。四時間目は、試験前だからといって特別な授業にはならないコミュ英だ。予習をしておかないと、今日の日付からして絶対当たる――のに、しもた、電子辞書、家に忘れてきてもーた。英語に関しては家で予習をする習慣がないからいつもは鞄に入れっぱなしなのに、昨日は試験勉強で使ったまま置いてきてしまった。机の上の状態がありありと思い出されて、海原は、うあー、と小さくうめいた。
 英単語はスマホでググれば一発だが、授業中に机の上へ出していると没収されたうえに反省文だ。休み時間中に下調べが終わるとは思えない――さてどうするか。海原はさっと立ち上がり、窓際の横山の席へ急いだ。
 横山の席には宮川がいて、どうやら発売したばかりのゲームの話をしているらしかった。そこに飛び込み訴える。
「横山、英語の辞書貸して。紙の方でいいし」 
 横山はほぼすべての教科書や資料集を学校に置いたままにしていて、電子辞書も持っているのに紙の辞書も置きっぱなしなのだ。両方あるのは一年の時の英語担任が紙の辞書を推奨していたためで、横山の紙の辞書はおそらく、一年の頃から一度も家に帰っていない。
「でいいしてなんやねん、紙以外貸さへんぞ」
 横山はいつもの笑顔で笑いながら席を立ち、後ろのロッカーから英和辞書を持ってきた。
「おーきに、ありがとう、横山マジ神」
「紙だけに?」
「絶対言うと思った」
 などとしょうもないことを言い合っていたら、教室前方から、訪う声。
「なあ、ちょっと、横山君、今いい?」
 横山と宮川と海原、そろって振り向くと、そこにやってきたのは折り重なるように前後に並んだクラスメイトの女子二人。ちょっと怒った音色でそう言って、責めるような、不安なような――顔をしている。声をかけてきたのは横山と化学の実験班が同じ子で、もう一人は、クラスでその子と一番仲がいい女子。見てわかる接点はその程度だ。
 二年三組理系クラスは、女子の方がちょっと少ない。といっても文系クラスの男子ほどではなく、半数にやや満たない、という程度だ。常に男女入り混じっているパリピグループもいるし、全体的に男女仲が悪いわけではないから実験や掃除の時に世間話くらいはする。が、今みたいに――『今いい?』なんて都合を確かめるところから始まる改まった会話は、あまり発生しない。
「え、うん?」
 頭の上に疑問符を浮かべながら、一瞬宮川と海原の顔を見上げ、横山が答える。女子二人も目配せをしあって、それからちら、と宮川と海原に視線を投げた。どうやら、海原たちがいると話がしづらいらしい――何やねん、気になるし。
 海原は紙の辞書を掴んだまま、席に戻るか否か迷っていた。本来なら戻って予習を進めるべきなのだが――なんかおもろいことになりそうな気がする。予感に笑ってしまう口元を、眼鏡を直す振りで隠していたら、宮川にシャツの袖を引っ張られた。厚めの前髪の下で、宮川の目が言う――ちょっと引いた方が良くない? 話を聞いていたいのも、面白がっているのも、たぶんバレている。海原は宮川に頷き返し、辞書を掲げて横山に言った。
「これ、借りるわ」
「ああ、うん」
「あ、オレも予習せな」
 宮川もそう言って横山のそばを離れた――が、宮川の席は横山の斜め前。海原も自席に戻る振りをして宮川のそばにたむろしているので、実質話は丸聞こえだ。
 だが女子二人はそれで安心したのか、座ったままの横山を見下ろし、切り出した。
「あんたら、どうなってんの?」
「え、なにが?」
 俯いた体で上目遣いに、眼鏡の隙間からそっと伺うと、女子二人に詰め寄られて、珍しく困った様子の横山が見える――なにこれ、おもろ。
 だから、と女子が一瞬言いよどみ、だが言わなければ話が進まないと思ったのか、幾分か声を潜めて続けた。
「中田君やんか」
 あんた『ら』――横山と中田。その言葉を聞いた瞬間、横山が変な声を上げた――ひゅっ、だか、ひえっ、だか、とにかく奇声を発した。女子の話の行先は全く見えないが、横山の反応が面白すぎる。頬の筋肉が震えてしまう。音のしない咳払い、という振りで視線を落としたまま口元に手をやると、呆れつつも心配するように眉を顰めた宮川と目が合った。なんかあったんやろか、と問われている気がしたので、わからん、と小さく首を振った。わからん――けど、これは聞いとくべきやな。海原はあっさり、予習の時間を手放した。
「えっ、と、……中田がどうかした?」
 答える横山の声は、あんな反応を示した割には落ち着いていた。しゃっくりか何かやったんやろか――女子たちは構わず話し続けた。
「今四組の子から聞いてんけど。中田君て結局岩井さんと付き合ってるわけ?」
「えっ」
「えっ」
「えっ」
 横山が声を上げるのと同時に、海原と宮川も隠しきれずに声を上げてしまい、ものすごい勢いで振り返った女子に睨まれた――ごめん、聞いてた。ちょっと肩をすくめて見せると、女子はまたくるりと横山の方に向き直った。不問に処す、というところか。
 四組の岩井さん、というのは、去年同じクラスで、中田と一緒にクラス委員をした女子生徒のことだろうが、中田にそういう相手がいないことは周知の事実だ。それなら、『結局』『付き合って』というのは――なんだ? と海原が思ったところで、横山も同じ疑問を口にした。
「え、と――付き合ってる、とかは、ないと思うけど。結局、て何?」
「告ったていうのはさー、知ってたんやけど」
「そうそう」
「え、え、誰が誰に」
「岩井さんが、中田君に」
 ――おっと、そう来たか。
 頭の中に、去年のクラス委員二人が思い浮かんだ。頼まれたら嫌とは言わず引き受けた仕事はきっちりこなす中田と、どこから見ても良い子オーラ全開の――海原はちょっと苦手とするタイプなのでどうしてもそういう表現になってしまう、が、悪い人ではない、とは思っている――岩井さん。他薦のクラス委員をまんざらでもなさそうに引き受けた彼女は、まあまあ行動力のあるタイプなのだろうとは思っていたが、そういう方向にもアクティブだったのか。
 告白――自分にはとんと縁がないが、青春小説なら王道シチュエーションだ、と海原は思った。あの二人やったら、どういう流れでそういうシーンになんのやろ。やっぱりベタに、放課後の学校とかそういうんかな――んんっ、と思わず出かかった声を飲み込んで、海原はちらりと横山を盗み見た。
 横山は――それほど動揺しているようには見えない。衝撃の事実、というほどではなかったのだろうか? それとも、中田から聞いていたとか。
 しかし予想に反して横山は、けろっとした表情で、
「えー、オレそんなん聞いてないで」
 と答えた。
「え、ほんま?」
「うん。お前ら知ってた?」
 急に話を振られて、宮川と二人、びくんと肩を揺らしてしまう。振り返った女子二人の視線が刺さる。
「いや、知らん」
「うん、オレも」
 海原の返答に、宮川が追随する。てかそもそも、横山が知らんのにオレらが知ってるわけないやろ――と言いたいところだが、そこは飲み込んだ。
 もっとも、去年のクラスで海原は、何となくそんなような気はしていた――つまり、クラス委員の彼女は、中田に気があるんじゃないか、というような。ただそれは中田と彼女の問題だったし、言うなれば『読者』の立場の自分がどうこういう問題ではない。だから特に話題にはしなかった。そうか、告白というところまでいったのか――だがそれを、中田は誰にも言わなかった。
 自分たちはともかく横山にさえ話さなかった、それは意外な気もしたが、少し考えたら、まあせやろな、とも思った。
 今、中田に付き合っている相手がいるような気配はない。ということはつまり、彼女の告白を断ったということだ。彼女にとってはきっと残念で悲しい話を、吹聴するようなヤツではないのだ、中田は。真面目で義理堅くて頭も良い、おまけに見た目も悪くない、絵に描いたような優等生。それが嫌味にならないのは、友達内で時々見せる、緩めた表情やちょっと間の抜けた発言があるからだ。
 知らんのやったらもうええわ、というわけにもいかなかったらしく、女子が説明してくれた。
 岩井さんが中田に告白したのは三月の話で、まだ一年の時。女子の間ではかなり話題になったらしいが、春休みのうちに『オチはうやむや』になったという。新学期が始まり、付き合っているという話はなかった――のは海原たちも知っての通りだ――から、まああかんかったんやな、と思っていたら、昨日だか今日だかまた改めて、岩井さん自身が『言いふらしている』のだという。曰く、『今は付き合ってないけど、大学は同じところに行けたらいいねーって』。折しも今週の初め、二年になって最初の進路希望調査票が配られたばかり。おそらくそれにまつわる会話から飛び出した『新証言』なのだろう。
「――って、そんなん言うてるって聞いたから、どうなってんの、ほんまなん、って聞こうと思ったんやけど」
 と女子が言う。
「え、今は付き合ってないって自分で言うてんの? 岩井さん」
 引っかかった所が気になって、海原は思わず口を挟んでしまった。女子が振り返って、そう、と頷いた。
「ほな、付き合ってないんちゃうん」
「やーだから、そこやん! 付き合ってないのに、同じ大学行けたらいいねーとか、言う?」
「言――わん、かなあ。言わんか」
 この子の言い分ももっともだ。
「そやろー? だから、何なん、て」
「あのさ、行けたらいいねー、って、別に中田と一緒に言うてる、わけではないんちゃう? 独り言っていうかさ」
 おずおず、といった様子で、宮川も参戦する。なるほど一理ある。ただ仮にそうだとすると、
「ええ、そんなん余計に、何なん、やん!」
「ほんまやし!」
 女子二人が憤慨する。そう、その言葉はどういう意味なんや、誰に言うてんのや、何なんや――今度はクラス委員の彼女の発言そのものが謎に包まれてしまう。何を思ってそんなことを言ったのか、狙いはなんなのか――、と、そこまで考えてふと気づく。
 そもそも彼女たちは、一体何をそんなに気にしているのか。中田が告白されたことや、彼女がいるのかどうかを気にしている、そこだけを見ると中田狙いか、と思わなくもないのだが、そもそも二人は最初にこういったのではなかったか? 『あんたら、どうなってんの』。あんたら――横山と中田。
 とにかくさあ、と、一人が言った。
「横山君、しっかりしいや、って、言いたかったの! そんな、なんかよくわからんけど、一緒の大学~とかさあ、言わせといたらあかんで!」
 その横で、もう一人もうんうんと頷いている。
 横山は、まるで事の成り行きを見守るかのようにずっと黙ったまま両手で頬杖をついていたが、それを解いて今度は机の上で腕を組み、恐ろしいほどさわやかな笑顔を見せた。
「うん、ありがと」
 うわあ、と呟いたのは海原ではなく宮川だ。女子二人が、ひえ、と小さい悲鳴を上げた。
「ほな、そういうことやし! 邪魔してごめんな!」
 最後のごめんな、は海原と宮川に向けて、慌てるように言い置いて、女子二人はバタバタと去っていった。
「ああ――うん、いや、はい」
 答えになってない返事をしながら見送る。ヤバない? ヤバい! と口々に囁いているのが聞こえて、宮川とそろって横山に振り向く。
「え、何、今のは。言わせといたらあかんで、というのは」
「やー、うん、なんていうか、応援? してくれてるというか」
「応援……、」
「うん」
 誰の、何を、応援しているのか――なんとなく察せられるのでそこは聞かずにおいた。
 いや、マジヤバいな。女子二人に同意するように、心の中で呟く。めちゃくちゃいい笑顔がこみ上げるのを止められない――女子すげえ、展開急すぎ、おもろすぎ。
 突然、ガタン、と音を立てて横山が立ち上がった。
「……、」
 と――思ったら、すぐに座った。
「え、何、どしたん……、」
 幽霊でも見たような顔をして、宮川が問う。横山がへらっと笑って答える、
「や、もう、チャイム鳴るし。昼休みにするわ」
 何をしようとしていたのかは言わなかったが、宮川も、ああ、うん、と頷いた。
「あ、ヤバほんまや」
 横山の言葉につられて腕時計に目をやる。予習はもうあきらめたが――スマホに用事がある。戻るわ、と二人に声をかけ、海原は横山に借りた辞書を掴んで小走りに自席へ戻った。
 横山は笑っていたし、その態度にいつもと何ら違うところは見受けられない。が――あの横山が中田の話題でずっと黙っていたのは気持ち悪いし、やっぱりどこか変だった。衝撃の事実であったかなかったかは知らないがとにかく、女子たちから聞かされた中田の話に、それなりに動揺しているのだと思った。だから、チャイムが鳴って担当教諭が来る前に、川島にメッセを一通――『昼休みにアホが行くから、レポくれ』、送信。
 川島はスマホを触っていたらしく、すぐにチェックがついて、それから、気の抜けたようなうさぎのスタンプが飛んでくる。『オッケー』。それから、『さっきの誕生日の歌、横山?』『そう。タダセンの誕生日』『マジで(ケーキの絵文字)』『笑ってるとこ見たかったって』『やっぱアホやな!』――そこまで読んで、海原はスマホを鞄に投げ込んだ。同時に、鳴り響くチャイム。
 四時間目が始まる。
 
 *
 
 辞書は大いに役に立った。日付指名で当てられる、という予想は外れたが、試験前だというのに教科書・ノートその他利用可の抜き打ちミニテストがあり、横山の辞書のおかげで何とか切り抜けた。
 昼休み、その横山はいつもに増して大急ぎで弁当を食べ終え、早々に教室を出て行った。五組の中田の所へ行くのは日課のようなものだし、いつもならスキップでも踏みそうなほど足取りは軽やかだ。だが今日は、ほんの少し、足取りが重い。一緒に弁当を食べていた宮川が言う、
「大丈夫かなあ、横山」
「んー」
「あれ、めっちゃへこんでるんちゃう」
「オレもそう思う」 
 そう思う――が、横山がさっきの話の『どこ』を気にしているのかはわからない。中田が告白されたことか、それを黙っていたことか、今は付き合っていないけど大学は同じところに行くのだというような、ツッコミどころの多い妙な話か――まあ、全部やろうな。
 
 横山と中田は、例えば自分と川島のような、ただの幼馴染――ではない。そういう話をあからさまにしたことはないが、宮川も、川島も、それにさっきの女子たちだって知っている。
 そもそも、女子に向かってあんな笑顔を向けていたら、行動がアホであることを差し引いたってもう少しモテてもよさそうなものだが、横山は言うほど、女子のそういう枠には入っていない。中田周のことが大好きだという自分を、隠さないからだ。ただ、どうやら残念なことに、中田自身がそれに気づいていない。
 そして恐らく中田の方も横山に対して『そう』なのだろう、とは思うのだが、こちらは隠そうとする意志を、うっすら感じる。
 今まで二人の間に何があったのかは知らないし、知りたいわけでもない。ただ二人は、ニコイチだの親友だの、そんな言葉では片付かない関係なのは確かだった。横山のアホを止められるのは中田だけだし、終始落ち着いている中田を慌てさせるのも横山だけだ。中田が時折見せる、緩い表情や間の抜けた発言――いわば人間臭さというのは、九分九厘横山に起因していることに、海原は――そして川島や宮川も――気付いている。
 いっそ『付き合っている』とでも言われれば腑に落ちるし納得もするのに、そうではないらしいところがまた歯がゆい――海原が愛読しているシリーズ小説の、主人公たちの背後でゆっくり進展するサブキャラクターの恋を応援しているのと似たような気分になる。そこは主題ではないのだが、進まなければ進まないでじれったい。
 海原にとって横山と中田は、大事な友達であるのと同時に、読み進めたいのになかなか進展しない物語の登場人物でもある。歯がゆくて、じれったくて、でも読者の自分はどうすることもできないから、そっと見守るだけ――それはそれで楽しくはあるのだけれど。
 だが、今日の一件、そして今横山が五組に向かったことで、――きっと不安でいっぱいに違いない横山には、些か申し訳ない気もするが――物語が動くのではないか、と海原は思った。
「……、」
 想像し、思わず笑ってしまいそうになる口元を、弁当をかき込むことで何とかごまかす。それでも、胸の奥でふつふつと沸き上がるような興奮は止まない。
 二人のストーリーが進展するとしたら、その先に待っているのは大団円しかありえない。誰がどう見たって、横山には中田、中田には横山なのだ。これはもう、間違いなく面白いのだとわかっている、安心安全のシリーズものだ。
 ――こんな面白いもん、読まんと損やで。

(続く)

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